授業が終わり、さて帰ろうかと教室を出る。

そして昇降口で靴を履き替えていると、妙に外が騒がしいことに気付いた。

何か事件でもあったのだろうかと思ったが、そういう類の騒がしさではない。

どちらかというと、歓喜の声、だろうか。

 

 

とんとん、と爪先を地面に当てるようにして靴を履く。

そこで下駄箱の陰に隠れる人物を見つけた。

 

「…夏目くん?何してるの?」

「っわ、っと…さんか…」

びくっと盛大に肩を揺らしてから、ほっとしたように息を吐く。

いやちょっとね、と言った夏目くんの顔はちょっとという感じではなかったけれど。

 

 

「もしかして、あの賑ってるところと関係あるの?」

「うん、まあ…さんも今は行かない方がいいと思うよ」

「でもあそこ通らないと帰れないし…じゃあ一緒に行こう?」

一人より二人、という安直な考えで私は夏目くんを促した。

えっ、と驚いた声を上げる夏目くんに首を傾げると、「ああ、いや、行こうか」と苦笑いを零した。

 

 

 

その意味を知り後悔したのは、ものの数秒後である。

 

 

 

 

 

「あ、夏」

言い終わらないうちに夏目くんは、校門で女子生徒に囲まれていた人の腕を引っ張った。

さん、走って!」

「え、あ、はい!?」

 

 

夏目くんに引っ張られながら走るその人は、被った帽子を押さえながら息を切らして走る夏目くんの後ろを走る。

なぜか私もその後ろをついていくように走り、人通りの少ない田舎道へとたどり着いた。

 

肩で息をする私と夏目くんに反して、引っ張られてきたその人はけろりとしていた。なんて体力だろう。

 

「…はあ、もう、学校には来ないでくださいって言ったじゃないですか、名取さん!」

「なとり、さん…?」

夏目くんの声に顔を上げると、その人はすっと帽子をとってずれた眼鏡を片手で直してにこりと笑った。

 

「ごめんよ、バレないように変装してきたんだけどね」

「ぜんっぜんできてないですよ!おれは男同士ですしまだいいですけど、さんは…」

夏目くんの言わんとしていることはなんとなくわかった。

私たちの間では、名取さんは祓い屋でこんな感じの人だけど、一般人からしたら有名芸能人だ。

そんな人と知り合いだなんてバレたら、質問攻めならまだしも嫉みや恨みを買いそうである。

 

 

「なるほど。ごめんね、ちゃん」

にこやかに言われてしまって、どう返したらいいか分からず口ごもる。

「…学校に来るほどの用事が、あったんですか?」

ごめん、の返事が思いつかなかった分を疑問で返した。

 

「あぁ、ごめんね。今日しか予定が空いてなかったんだ。急に来た事はほんとにごめん」

先ほどのとは違って、申し訳なさそうに名取さんは言う。

なぜか、私を見て。

 

 

「用事って、夏目くんにじゃないんですか?」

「うん。今日は君に、ね」

そう言って名取さんは私に向かって笑いかける。

 

 

「君の、の血について」

 

 

ぞくっと背筋が冷える。

息をのんだ私を庇うように夏目くんが一歩前へと踏み出す。

「名取さん」

夏目くんの背中越しに見える名取さんは、じっと私を見据えたまま。

「妖にとって、とても強力なものらしいね。その血も、体も、喰らえばとても強い力を得られると」

「名取さん!」

 

声を荒げた夏目くんに視線を移して、ふっと名取さんは笑った。

 

「そんな怖い顔しないでくれ、夏目。私は彼女を利用しようなんて思っていないよ」

「………」

私から夏目くんの顔は見えないけど、なんとなく空気感だけで表情が少しだけわかった。

 

「な、夏目くん、名取さんは…こんな人だけど、きっと大丈夫だと思うよ」

「それフォローしてくれてるって受け取っていいのかな」

「え、あ」

思わず夏目くんの背中に隠れるように手を添えた。

…細いなあ、夏目くん。羨ましい。

 

 

 

「この前の祓い屋の会合で少し話題が出てね。家の生き残りがいる、ってさ」

人違いじゃないかって適当に濁しておいたけど、と名取さんは続ける。

「まさか本物だったとはね。なるほど、まさかこんな普通の子だとは思わなかったよ」

妖が見えてる時点で普通という括りからは外れる気がするのだけど。

 

 

「気をつけるんだよ、ちゃん」

その声にそっと夏目くんの陰から顔を出す。

 

「妖もだけど…うん、私が言うのもなんだけどね、祓い屋にも気をつけた方がいい」

「それはお前も含めてか?名取の小僧」

 

突然振ってきた声と、ぼてっと夏目くんの前に振ってきた白い塊。

 

「ニャンコ先生!?」

「はは、手厳しいね猫ちゃん」

ひょいとニャンコ先生を拾い上げた夏目くんは、重っ、と声を零した。

 

 

「それより夏目、家に中級どもが押し寄せてたぞ。良い酒と木の実が手に入ったから酒盛りしようって」

「あいつら…」

呆れたように、困ったように夏目くんはため息を吐く。

 

「なんだか大変みたいだから、ちゃんは私が送っていくよ。夏目は家に行っておあげ」

「え、大丈夫ですよ。送ってもらわなくても」

いくら家の周りが人通りの少ない田舎とはいえ、さすがにこんな眩しい人と歩くのは緊張するし見つかった時が怖い。

 

「おれは名取さんが一緒っていう方が心配です」

「尤もだな」

「ひどいなあ、ふたりとも」

困ったように笑う名取さんからは、危ないなんて感じはしなかった。

 

 

「…夏目くん、私、大丈夫だから行ってあげて。塔子さんも心配しちゃうといけないし」

「う…」

眉間にしわを寄せて数秒悩んだ後、夏目くんは長く息を吐く。

「おれも、名取さんを疑ってるわけじゃないですから。…さんのこと、守ってください」

「うん。了解」

 

 

ひらひらと手をふる名取さんと私を振り返りながら、夏目君は足を踏み出す。

その背中が見えなくなってから、名取さんはまた小さく困ったように笑った。

 

 

「それじゃ、お送りしますよお姫様」

お辞儀するように私の手を取る名取さんに、さすが役者さん、と思う事で顔の赤みを冷まそうと思った。

 

 

 

 

幸いというのかは分からないが、ふわふわと私たちの周りや足元を行き交う妖のおかげで緊張はすぐにとけた。

ぽつりぽつりと聞こえる、様、と呼ぶ声は名取さんにも聞こえているのだろう。

 

「好かれる、とは聞いていたけど。すごいね、これ」

「おかげさまで能天気にやってこられたって感じです」

もう少しで家に着くといった所で名取さんは足を止める。

どうしたのかと顔を見上げると、その眼はじっと私を見つめていた。

 

 

「名取さん?」

「そんなに美味しいのなら、人が食べても美味しいのかな」

 

「え?」

何を言っているのかと考える前に、名取さんが私の手をぐっと引き、もう片方の手で顎を捉える。

ざわ、と風が鳴る。

 

 

 

するりと名取さんの親指が私の唇をなぞっていく。

そして、近づく影にぎゅっと目を閉じた。

 

 

 

「なーんてね」

 

 

 

耳元を少し掠れた声がくすぐる。

「…え…?」

「ね?人間にもこういうことする危ない奴はいるかもしれないから、気をつけて、ってこと」

聞くより体験した方がわかるでしょ、と名取さんは笑って私から手を離す。

確かに言われるよりは実感が湧くが、これはあんまりだ。

 

 

「…名取さんのばか」

「あはは、ごめんごめん。でもそんな顔してると、別の目的で食べられちゃうよ」

今度は先ほどと違って優しい手つきで頭を撫でてくる。

役者さんって恐ろしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

食べられちゃうよ








(あのまま食べちゃったら、きっと私も食われていただろうね。君を護ろうとする妖たちに。)

 

 

 

 

 

 

あとがき

一般人には見えない鉄壁ガード。

2014/7/11