ある晴れた日の昼間。

ブラッドから借りた本を部屋で読んでいると、ふわりと庭の方から良い香りが漂ってきた。

 

甘い香りにつられ、本から意識が離れた時だった。

 

「お嬢さんッ、奇襲だ!!」

「おわあああ!?き、奇襲!?」

ばんっと鍵を掛けていたはずの扉が勢いよく開き、この屋敷の主が飛び込んできた。

 

 

昼間なのに珍しいね、とか色々言いたい事はあったが、それ以上に気になる単語が耳に飛び込んできた。

「き、奇襲って何!?こんな昼間にマフィア抗争!?」

「いやマフィアではない…くっ、この部屋ももう襲われていたか…」

ブラッドは若干よろめきながら窓へ向かい、ぱたんと戸を閉めて鍵を掛けた。

 

 

「…奇襲ってまさか」

「く、エリオット…。ただでさえ忌々しい昼間に庭でオレンジ色の物体でお茶をするだなんて…!」

「そういうことかァァァ!!」

大げさなんだよもう!と怒りたい気持ちを押し流すように溜息を吐く。

 

「ブラッド、もう諦めなよ。エリオットのニンジン好きはどうにもならないって」

「諦めるんじゃない、。希望を捨ててはいけない」

両肩に手を置かれ、日頃見られない真剣な顔で諭される。

もうなんなんだこの人。

 

 

「私ではあそこに近付けん…、君に頼みがある」

「丁重にお断りさせていただきます」

「君の食事を全てエリオットと同じメニューにすると言ってもか」

「やらせて頂きますボス!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミッションは、至極簡単。

されど相手が相手なため、相当な難易度となる。

 

あたしに課せられたミッションは、エリオットの食事からニンジンを減らす事だ。

本当は無くせと言われたのだが、さすがにそれは非現実的すぎると言う事で妥協してもらった。

妥協してもらっても、どうにかなると思えないのだけれど。

 

 

 

 

「え、エリオットー。今日もすごく…すごくオレンジ色まみれだね…」

庭に出ると、部屋にいたときよりも強いニンジンの香りとテーブル一面に広がるニンジンデザートに目が釘付けになった。

 

「おっじゃねーか!丁度いいとこに来たな、あんたも食べるか?」

ひょこっと嬉しそうに耳を動かして笑うエリオットに悪意はまったく見られない。

正直並べられたニンジンデザートは、美味しそうだ。

ここのシェフさんは本当に料理上手だと思う。

 

 

しかしここで負けてはいられない。

ボスの命令をなんとかしなければ、あたしの食卓もオレンジ色へと化してしまう。

 

ごめんね、と心の中で呟いて、スプーンを差し出すエリオットと向かい合う。

 

「あのねエリオット。ニンジン…風味のものを食べると、ウサギの耳が生えてきちゃうのよ!!」

「な、なんだってェェェ!?」

 

カランっ、とエリオットの手から落ちたスプーンがケーキ皿に当たって甲高い音を立てる。

予想はしていたけれど、予想以上にショックなんだろう。耳がピンと立ち上がっている。

 

 

 

「だ、だからこれからは少し控えて…」

「大丈夫かッ!!」

「は?」

がくんっと膝から崩れ落ち、見上げるようにしてエリオットはあたしの顔を覗き込む。

先ほどと打って変わって、耳はへちょんと垂れさがっている。

 

 

「お、俺、そんなこと知らなくて今までにいっぱいニンジン食わせちまった…」

「あの、エリオット?」

「体に変なとこはねぇか!?耳、生えてきたりとかしてねえか!?」

「う、うん。あたしは大丈夫だけど」

「そうか…!」

よかった、と言って少し潤んだ目を輝かせる。

なにこの純情ウサギ!手に負えない!

 

 

「でも、油断大敵だよな…悪い、ちょっと髪触るぞ」

「へっ?」

すっと立ち上がったエリオットは言うなりあたしの髪を撫で始めた。

髪というよりは、頭だ。

丁度、ウサギ耳が生えそうなあたり。

 

 

「大丈夫みてーだな、はあ、よかった…」

「あたしは大丈夫だけどエリオットが大丈夫じゃないでしょ。ほら、今なら間に合うかもしれないから少しニンジンを減らして」

「あんなもんがアンタの頭に生えたら大変だからな」

 

話聞いちゃいねえ。

 

 

駄目だよボス、この子全然話聞いてない!

今頃高みの見物をしているであろうブラッドに向けて、そうテレパシーを送ってみる。

 

それにしても、ちょっと気になることがある。

「ねえ、そんなにウサギ嫌いなの?」

「あんなのが好きなのか…?」

そんな心底理解できない、みたいな顔で聞き返さないでほしい。

 

確かにこっちの世界のウサギは動物のウサギとでっかい人型のウサギがいるが、個人的にはどちらも好きだ。

人型の方は性格に難有りの奴もいるけれど。

元の世界では、うさ耳なんて萌えの対象でありバニーガールなんてものもあるというのに、この差は一体何なんだろう。

 

 

少し腰を落として視線を合わせてくれたエリオットの耳に手を伸ばす。

ふわふわとした毛並みが心地よい。

「好きだけどなあ、ふわふわで気持ちいいし」

「な…なんだと!?」

好き、と言ったとたんエリオットの耳がピンッと立ち上がり、あたしの手を弾き飛ばした。

ちゃんと神経通ってるんだ、それ。

 

 

…もう精神がそこまでやられてるんだな…」

「え?なに、どういう…」

くっ、とエリオットは涙を振り払うように顔を振り、どんっと自分の胸を叩く。

 

「大丈夫だ、お前は俺が守ってやる!」

はあ、と首を傾げるあたしとエリオットの温度差がとてつもなく激しい。

一体彼の頭の中では何が起こっているのだろうか。

 

「悪い、俺には行かなきゃならねえとこが出来ちまった。また今度お茶しような!」

「え、あ、うん」

じゃあな!と言って、屋敷の方へと走り去っていくエリオットを見送りつつ、どうしたもんだと思って立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で。どういうことだねお嬢さん」

「私にもさっぱり」

 

その日のご飯…タイミング良く夜が来たので夕飯ということにしておこう。

あたしとブラッドの食膳からオレンジ色が消えていた。

ブラッドのは元々なかったけど、あたしは普通にニンジン料理も入れてもらっていたのだ。

 

 

「ふたりにウサギの影響が出たら大変だからな、料理長に頼んでおいた!」

「そうか、それは分かったが…お前はどうなんだエリオット」

ブラッドは引きつりそうな顔をなんとか平常に保ちながら、エリオットの前に並ぶ食事を杖で指す。

 

「俺は心配いらねーよ、そんなもんにやられる程ヤワじゃねーからな!」

ニカッと笑うエリオットにやはり悪意は無く、あたしはブラッドと顔を見合わせた。

 

 

 

「諦めよう」

「お嬢さん、希望を捨ててはいけないよ」

「無理だって諦めよう」

こそこそと小声で言い合うあたしたちの前で、ウサギさんはニコニコと笑っていた。

 

 

「……はぁぁあ…」

零れ落ちたのは溜息なのか乾いた笑いなのか、どちらとも言えない声だった。

 

 

 

遂行不可能








(「もうブラッドがニンジン克服した方が早いと思う」「それこそ非現実的だよ、お嬢さん」)

 

 

 

 

 

 

あとがき

ウサギもにんじんも好きですけどね。

2015/6/4