+ショートカット+
銀時編 ・ 総悟編 ・ 土方編 ・ 高杉編 ・ 退編 ・ 神威編
ざあざあと雨が降る窓の外を見ながら、俺は下駄箱へと向かって歩いていた。
偶然昨日、学校に傘を忘れたのがこんなところで役に立つとは。
すっげーラッキーじゃね、と思っていると下駄箱に見覚えのある奴がいた。
「あれ。なにお前、まだ帰ってなかったの?」
「銀ちゃんこそ。私はほら、雨宿り中」
そう言って下駄箱の先、外を指さす。
「どうせ銀ちゃんもでしょ?一緒に止むの待とうよ」
「ハッ、俺を誰だと思ってんだコラ。これを見ろォォ!」
ズボッと傘立てから引き抜いた傘を目に、こいつは目を何度か瞬かせた。
「え、うっそ!銀ちゃんが傘持ってきてるなんてそんなばかな!あっだから雨なのか!」
「ねえバカにしてんの?怒るぞコラ」
ちぇーとつまらなさそうに下駄箱に凭れかかったこいつと手元の傘を交互に見る。
「しょーがねーから、入れてってやるよ」
一瞬にして笑顔になったこいつと一緒に学校を出た。
時々俺の腕に触れる、柔らかい体が濡れないように傘を差す。
「お前よくこんな止みそうにない雨を待とうと思ったな」
「だって、さすがに濡れて帰るには遠いんだもん」
傘をたたく雨音は思っていたよりも強い。
「こら、あんま離れんなっつの」
「え、でも」
躊躇う声を無視して一歩隣へ詰め寄ると、ぴったりと肩が触れ合った。
っ、と息を飲むような声が聞こえた気がした。
それが俺の声だったのか、こいつの声だったのかはわからない。
しばらく歩くと、俺の家が近づいてきた。
そういえば俺よりこいつの方が遠いんだっけ。
「あ…こ、ここまででいいよ!ありがとね銀ちゃん」
そう言って傘から出ようとした体を引き留めるように、俺はぐっと手を掴んだ。
「…も、持ってけ」
「え?」
「傘、持ってけ」
掴んだ手に傘の柄を掴ませて、その小さい手を上から押さえ込んだ。
「いやでも、銀ちゃん家もうちょっとあるし!私はもうここからなら走れるし!」
「いいんだよ、なんなら傘お前にやるから」
「は!?それこそ申し訳ないって言うかなんていうか、とにかく私は」
「あーもーうるせえうるせえ!!」
ヤケだったとはいえ、自分でもすげーことをやらかしたと思った。
堂々巡りになりかけていた会話を、物理的に、それも非常に甘ったるい方法でぶった切った。
「げっ月曜日、風邪引いてたら許さねーからな!!」
それだけ言い残して俺は家へ向かって全力で走った。
一瞬見えたあいつの顔は、俺に負けず劣らず真っ赤だった、と思う。
(金曜日の過ち)
毎日のように、いや、実際毎日いじめてる女がいた。
ドジだのバカだの、救いようがないだの、色んな言葉を吹っかけてきた。
「またやってるアルか、お前いい加減にするネ!」
「事実を言ったまででさァ」
そろそろこいつの友人共の怒りが頂点に達する頃だろう。
そんな時に、決まってこいつは言う。
「大丈夫だよ、神楽ちゃん。わたし、ほんとにドジだから…」
「なに認めてるネ!あーいう奴には言いすぎるくらいじゃないと効かないアル!」
そう、いつもこいつは大丈夫だと言って笑う。
笑っていた。
「オイ。なにいつも以上にぶっさいくなツラしてんでィ」
「…っ、沖田、くん…」
その日の帰り、うっかり屋上で夕方まで寝過ごした俺の耳に届いたのは、押し殺した泣き声だった。
声がした非常階段へ向かうと、いつも俺がいじめてた女が座り込んでいた。
「どこのどいつでさァ」
「え?」
止まらない涙を拭うこいつを見下ろしながら問うと、こいつはいつもみたいに「大丈夫」と言った。
「ちょっと、部活で失敗して…先輩に、怒られちゃって。だから、その、だいじょうぶだよ」
へえ、と気のない返事を返す。
頭の中でこいつが入ってた部活の先輩とやらの顔を一人ずつ頭に浮かべていく。
「…でも、不思議、だな」
その声は相変わらず上擦っていたが、涙はようやく止まりかけてきたようだ。
「沖田くんに言われることと同じ言葉だったのに、すごく、怖くて辛かったの」
「…ほんっとバカですねィ」
ため息をひとつ吐いて、隣にしゃがみ込む。
「俺がお前をどう思って、今までいじめてきたと思ってんでさァ」
「わ…わたしが、きらい、だから?」
ほら、やっぱりバカだろ。
「まったくもって正反対でィ」
(泣かせない程度の愛情をこめて)
風紀委員の仕事を終え、やっと帰れると思いながら教室へ戻る。
すでに誰もいない教室はとても静かで、鞄を持ち上げる音すら大きく聞こえた。
もうだれも残っていないんだろう、と思った瞬間にけたたましい足音が聞こえてきた。
「トシー!!みーっけた!!」
「ぐえっ」
振り向くより早く、俺の背中に走ってきた勢い事飛びついてきた女子生徒。
よろめいて机に手をついて体を支える。
「…帰ったんじゃなかったのか」
「やだなあ、彼氏様を置いて帰るわけがないじゃない」
ふふ、と笑った声は明るく、俺はそれと反対に出そうになったため息を抑えた。
ぎゅううと腰に回った腕は離れる気配がなく、その手を離そうと俺の手を重ねる。
「オイ、帰れねぇだろうが」
「……ね、トシ」
背中からは俺の問いかけへの返事ではなく、呼びかけが返ってきた。
その声は、俺に最初に「好きです」と言ってきた声と同じ、小さくか弱いものだった。
今となってはそのカケラも見られないほどの勢いで突撃してくるのだが。
「私ね、トシの笑顔が大好きよ」
そんなに笑ったことは無い気がする、と心の中で返事をした。
「風紀委員のくせに煙草の香りがするとこも、瞳孔開きっぱなしの目も、不器用なとこも、
ちょっと悔しいけど私よりマヨネーズが好きなとこも、ぜんぶ、大好き」
背中越しの声はすこしくぐもって俺に届く。
「トシは、私のこと、どれだけ知ってる?」
「……」
少し、手に力を入れると、腰に回っていた腕はするりと外れた。
そのまま俺は体を反転させ、そいつに真正面から向き合う。
「さあ、よく知らねぇな」
「…そ、っか」
そっかあ、と泣きそうな笑顔で同じ言葉をもう一度繰り返した。
「俺が知ってんのは」
そう言って掴んだままの右手の人差し指を目の高さまで持ち上げる。
「授業中、紙で切って痛そうにしてたこと」
「…え、なんで」
「うたた寝してシャーペン床に落として焦ってたこと、総悟に売店まで走らされてたこと」
今日見たことを挙げていくと、ストップ、という声に遮られた。
「な、なんでそんなこと知ってるの!?しかもよりによって恥ずかしいとこばっかり!」
「んなもん決まってんだろ。お前が俺んとこ来るたびに質問攻めにしてくるからだろうが」
そうだっけ、と首をかしげる。
「知ってほしいんなら、もうちっと俺にも喋らせろ」
今みたいにうるせー奴らがいない時にな、と注意事項を重ねることを忘れずに。
(見てないと思ってんなら大間違いだ)
「高杉君って、遅刻はするけど意外と真面目だよね!」
そう言って笑ったアイツに顔を歪めたのは、入学3か月後のことだった。
学年が変わってもまた同じクラスになったあいつは、今日もへらへらと笑っていた。
「もー、机に足乗せちゃ駄目って昨日も言ったじゃん!」
「うるせーな、すっこんでろ」
ギッと隻眼で睨みつけると、大抵の女子なら怯むのにこいつだけは仁王立ちのまま動かない。
「駄目なものはだーめ!」
「チッ」
こいつといると調子が狂う。
入学してすぐ不良の頂点へのし上がったはずが、こいつのせいで今はその地位も揺らいでいる。
出そうになったため息を押し殺して、イスを蹴飛ばすようにして席を立った。
「あっ、ちょっと!次の授業もうすぐ始まるよ!」
「うっせーんだよ、テメェは勝手に授業でてろ」
「赤点とっても知らないよー!今度という今度はノート見せてあげないからねー!」
ひく、と顔を引きつらせて俺はあいつの声を背に教室の扉を思い切り開く。
予想通りのバンッという音に教室の連中どころか、廊下にいた奴らもビクリと肩を揺らした。
そいつらを黙らせるように睨みつけると、すっと廊下に道ができる。
ずんずんと授業をサボるために屋上へ向かって歩いていく途中で、薄汚ェ天パとすれ違った。
「なに、また教科書忘れたの?しょうがないなあ…」
「悪ぃ悪ぃ、今度チョコやるからさ!」
「えっほんと?じゃあ許す!」
そんなやりとりがウゼェくらい耳に入った。
聞いてしまった自分にか、あいつにかは分からないが、舌打ちをして足を速める。
普通なら、俺みたいな奴と絡んでると自然に人が離れていく。
それなのにあいつの周りはいつも誰かがいる、誰かと笑っている。
それはきっと、あいつが。
「…他の奴らなんか捨てて、俺だけ追ってこいよ」
無意識に零れ落ちた感情は、屋上のドアが軋む音にかき消された。
(誰にでも優しいお前が大嫌いで大好きだなんて)
水曜日、午後ラストの授業中。
先生が読み上げていく古典の文章は、半分以上意味が分からず子守唄のように聞こえる。
出そうになった欠伸を噛み殺して、すっと視線を左へ走らせる。
隣の席の女の子は、教科書で欠伸を隠していたが、俺からは丸見えだった。
それに気づいたのか、彼女は少し恥ずかしそうに笑い、口パクで「ねむいね」と言った。
おそらく周りの生徒も眠いのだろう、教室はとても静かだ。
一番後ろの席の俺は、かくんかくんと舟を漕ぐ生徒の数を数えて眠気を覚まそうとしていた。
5人くらい数えたところで、俺の左腕がぽんぽんと呼ぶように叩かれる。
左を見ると、さっき欠伸をしていた子がノートを立てて、俺に紙面が見えるように開いた。
『今、どこやってる?』
ノートの端に書かれた言葉を読み取って、俺は教科書へ目をやる。
このあたり、と彼女に見えるように教科書を開いて指をさす。
彼女は自分の教科書を捲って俺の教科書と見比べ、ぱっと笑顔を向けた。
『ありがとう!』
女の子らしい字で書かれた言葉に、俺も、笑い返した。
そして俺もノートの端へと鉛筆を滑らせる。
『もしかして、ずっと寝てた?』
そう書いてちらりと隣を見る。
既に前を向いていた彼女が振り返るのを少し待ち、そっとノートの端を指で叩く。
俺に気付くと、少し目を泳がせて彼女もノートへ鉛筆を走らせる。
『目は開いてたよ!』
それ、意識は寝てたってことじゃないか。
心の中でそうつっこんで笑いをこらえると、彼女は恥ずかしそうに顔を赤くして前へ向き直った。
それからは何事もなく授業が進み、授業を終わらせる鐘が響いた。
「よっし終わったー!」
眠気から解放された生徒が立ち上がるのと同時に、隣の彼女も立ち上がる。
速やかに荷物を鞄に詰め込む彼女に、いつも一緒に帰っているメンバーから声がかかった。
「片付けるの速っ!」「授業終わる3分前から帰る準備してたからな!」「ばかでしょ」というやりとりが
ぼんやりとどこか遠く耳に入ってくる。
「じゃ、また明日ね!」
そう言って彼女は俺に笑いかけて教室を出て行った。
俺は「うん、またね」と、もう教室から出ようとしている彼女の背中へと声を送った。
(近くて遠い、隣の貴女へ。また明日も、話せますように)
俺を昼寝から目覚めさせたのは、キンキンと甲高い怒声だった。
「ちょっと頭いいからって、気取ってんじゃないわよ」
そんな声と、紙が破られるような音が寝起きの頭に響いてくる。
音の方を見なくても、何が起こっているのか分かった。
よくもまあ、毎日毎日やるものだと思う。
しばらくして数人の足音が遠ざかる音を聞き届けてから、俺は寝ていた木の上から飛び降りた。
「やっ。今日も派手にやられてたね」
「………」
地面に座り込んだままの女は、さっきの奴らに破られたのであろう本のページを集める手を一瞬止める。
そして何も言わず、俺を一度見てすぐに元の動作に戻った。
「あんたさ、毎日誰かしらに虐められてるけど、悔しいとかないのかい?」
「………」
問いかけに返事は無い。
俺は笑顔のまま女に近づき、散らばった文庫本の紙片を集める手を踏みつけてやった。
「…っう」
小さく呻き声が上がる。
けれどそれも一瞬で、ほかに言葉はなく、ただ俺の足が上がるのを待っているように見えた。
「ふうん。お前、泣かないんだね」
「………」
「ははっ、いいよそういうの。俺、強い女が好きだからね。でも」
女の手を踏んでいた足を退かし、今度は髪を掴みあげて上を向かせる。
「お前のことは、泣かせてみたいな」
あまり授業に出ない俺でも知っているくらい、有名な奴だった。
成績良好、生活態度も悪くはなく、教師からも信頼信用されている。
「あんたみたいな女ならさ、誰かに助けを求めればいいんじゃないの」
不良の頂点争いをするような俺とは違って、こいつなら引く手数多のはずだ。
掴んでいた髪を離してやったが、女は項垂れたまま髪を整えもしなかった。
だが。
「……そうでも、ないよ」
気を付けていないと聞き逃しそうな程、小さな声。
「誰も、信じなかったから。君みたいなイイコが、そんなことされるはずがない、って」
「それで諦めた、ってこと?」
こくりと女は小さく頷く。
「もう、どうしたらいいか分からないの」
「どうしたら、ねぇ。やり返したいとか、懲らしめたいとか、助けてほしいとか、そういうのはないの?」
殺したいとか、と聞きそうになって言葉を飲み込む。
まあこいつにそれを聞いたところで、大して良い反応はしないだろうけど。
「……」
「俺があんたの代わりに、あいつら懲らしめてやろっか、って言っても?」
「…別に」
いらない、と言葉は続く。
「…けど」
「けど?」
俯いたままの女の顔を覗き込んでやると、今までの無表情が少しだけ和らいでいた。
「私と…また、お話してほしいな」
声も出なければ、笑うこともない女なのだと思っていたがそうじゃなかったらしい。
どうやら不良だろうが優等生だろうが、トップに立つというのは大変なようだ。
「誰に言ってるか分かってる?授業なんてさぼっちゃうような不良だよ?」
「でも、あなたは私の話を…私の言葉を聞いてくれたから」
そう言って薄く笑った女に手を伸ばし、俺の所為でぐしゃぐしゃになった髪を整えてやる。
そして血の滲んだ手を取り、にこりと笑う。
「俺も。怯えてない奴と話したのは久しぶりだ」
(混ざり合うように、飲み込まれる)