カタン、と鹿威しの音がきれいな和風の庭園に鳴り響く。
「それでは…本日の警護、よろしくお願いします」
そう言ったのは私の父。前に立つのは、江戸で真選組と呼ばれている人たちの局長さんらしい。
近藤と名乗ったその人は、温かい感じの笑顔で私に視線を移す。
「今日の見合いは無事に行わせますんで!まっかせてください!」
「…はい、よろしくお願いします」
どんっと自身の胸を叩いて笑った近藤さんに、にこりと微笑んで挨拶をする。
「もうすぐ相手の方が到着する。お前はおとなしくしているんだぞ」
そういった父に「はい」と返事をする。
父は別の用事があるようで、お供しますよ!と言った近藤さんと一緒に奥の部屋へと歩いていった。
「……」
ため息が出そうになるのをぐっとこらえて、庭の池を眺める。
「随分と浮かない顔ですねィ」
「っ!?」
突然後ろから聞こえた声に肩を震わせて、声のした方を振り返る。
そこには机に備え付けられていたお菓子に手を伸ばしている、私と同じくらいの年頃の男の子がいた。
「家のお嬢さん…えーっと、名前なんでしたっけ?ああ、俺ァ真選組副長の沖田でさァ」
「わ、私はと申します。ええと…副長さん、とお呼びすればいいですか」
「違う」
ぎしっと板張りの廊下が軋む音と共に、もう一人男の人がやってきた。
「そいつは副長じゃねーよ」
「何言ってんですかィ、未来の副長でさァ」
もぐもぐと机に乗ったおまんじゅうを食べながら、沖田さんは私の前に立つ本当の副長さんに言う。
「つーか何食ってんだテメー!おとなしくしてろっつっただろ!」
「だからおとなしくしてるじゃないですか」
「おとなしく警護しろっつったんだよ!誰が菓子食えっつった!」
殴りかかっていった副長さんの拳をさらりと避けて、沖田さんはちらりと私に視線をよこす。
「じゃ、ちょっとお嬢さんの暇つぶしに付き合ってきまさァ」
「えっ?あ、あのっ!」
不意に握られた手を引っ張られ、半分引きずられるようにして廊下を走る。
後ろから聞こえてくる副長さんの声を無視して、沖田さんは玄関近くの庭へと私を引っ張っていった。
急に走ったせいで呼吸が乱れ、沖田さんにストップをかけて縁側に腰掛ける。
「あ、あの、なんでこんな…?」
「暇だったんじゃないんですかィ?」
息を整えている私と反対に、けろっとした表情で沖田さんは首を傾げた。
「暇じゃないですよ…今から、お見合いなんですし」
お見合いといっても結果は決まっている。
「見合いってもっと気楽なもんじゃないんですかねェ。相手見て嫌だったらバッサリ切り捨ててやりなせえ」
「そんなことできませんよ」
周りに誰もいないのを確認してから、小さく声をこぼす。
「政略結婚、なんですよ。今時そんなの無いって思ってたんですけどね」
ふふ、と苦笑いをすると沖田さんは近くの柱に凭れ掛かって腕を組んだ。
「でもそれなりの屋敷のお嬢さんなら、そういうのもアリなんじゃないんですかィ」
そう言った沖田さんに首を左右に振る。
「の家が栄えていたのはもう随分前で、今は名前だけの弱い貴族。…こうでもしないと、跡が継げないんです」
私は家の一人娘ですから仕方ないことなんです、と自分に言い聞かせるように呟く。
「ま。お相手さんの悪い噂は聞かねーんで、大丈夫だと思いますぜ」
「はい……」
ですが、と続いてしまった言葉に沖田さんがぴくりと反応する。
「ですが…一度くらい、結婚前に恋というものをしてみたかったんです…」
それがずっと押し殺していた私の本音。
「できなかったんですかィ?」
いつの間にか私の横に立っていた沖田さんの影が私にかかる。
「家から出たことは、ほとんど無いですし…損得なんて考えない、町の人たちみたいな恋がしてみたかったんです」
沖田さんから目を逸らして澄み渡った青空を見つめる。
しずかだった縁側に、車のエンジンの音が聞こえてきた。
「ご到着、ってやつみたいですねィ」
「ですね…そろそろ行かなくてはいけません」
すっと立ち上がって、沖田さんにお辞儀をして微笑む。
「ありがとうございました、なんだか色々聞いてもらって、少しすっきりしました」
着物の襟元を整えて先刻までいた見合いの部屋に戻ろうと足を進める。
「…いち」
ぴっと沖田さんが人差し指を立てる。
「このまま見合いをして、どこぞのボンボンと結婚する」
きょとんとしている私を放置して言葉を続けていく。
「に。俺と一緒にここから出て恋っつーもんをしてみる」
人差し指と中指を立てて、にやりと笑う。
「どっちか、あんたが選びなせェ」
遠くから父が私を呼ぶ声が聞こえる。
だめだ、行かなくちゃ。私にはそれしかない、それしか…ないんだ。
「俺は気まぐれですからねィ。さっさと決めてくれねーと気が変わっちまいますぜ」
指を立てた手を左右に揺らしながら答えを急かす。
ぐるぐると選択肢が頭の中を回り、息がうまくできない。
私には選べない、選んじゃ、いけない。…選びたい。
ぎゅっと胸元で右手で左手を掴むように合わせる。
「あんたが決めりゃ、俺が手を引いてやりまさァ。こんな気まぐれ、今しかありやせんぜ」
かちかちと奥歯が噛み合わず音を立てる。
私は、私は…。
「…っ…に、ばんが…いいです…っ!」
震える声で言うと、沖田さんは楽しそうにニッと笑って私の手を思い切り引っ張った。
声も出ない勢いで抱き上げられ、沖田さんはすっと息を吸って弾かれたように駆け出す。
向かう先は、お屋敷の玄関。
人一人抱えてこんなにまで走れるのかと驚いていると、それ以上に驚いたような父と近藤さんの声が聞こえてきた。
「なっ、なにをやっているんだ!」
「総悟ォォォ!お前、そっちは外だぞ!」
わかってらァ、と叫ぶように言いながら沖田さんは勢いを緩めることなく玄関を飛び出す。
そして屋敷の門の前に立っていた車の運転手の男の人の手に回し蹴りを繰り出す。
その手からキラリと光る車の鍵が飛び、近くにいた真選組の男の人が素早く掴み取った。
「ザキ!俺らが乗ったらすぐ出せ!」
「えっ、ちょ、だめですって!俺、副長に殺されます!」
「今俺が殺してやってもいいんですぜ」
沖田さんの声に盛大に肩を震わせた男の人が慌てて車に乗り込む。
「あんたが憧れてた外の世界なんて、こんなもんでさァ。…後悔、してますかィ?」
憧れていたのか、夢見ていたのか。これからどうなるのかもわからないけれど、私は今日一番の笑顔で言う。
「いいえ、後悔なんてしていません!」
「いい返事でさァ、!」
アルトルイズム・エスケープ
(知らない世界、知らない気持ちをもっともっと知るために、私はいまから走り出す。)
あとがき
巻き込まれるのはいつもザキですよね、うちのサイト。
「に。俺と一緒にここから出て恋っつーもんをしてみる」をどうやって解釈するかはお任せいたします。
2011/11/22