今度の休み、どこか行かない?
彼氏からそんな内容のメールが来たのが昨日の夜。
携帯電話の上を親指がつるつると滑るだけで、返信のメールはまだ書けていない。
はあ、と出そうになったため息をぐっとこらえて電源ボタンを押してメール画面を終了させた。
「いらっしゃいませー」
小さな定食屋で働いている間は他の事を考えている余裕なんて無い。
てきぱきと営業スマイルを浮かべて仕事をこなしているうちに、あっという間に日は沈んだ。
そろそろ閉店ですね、と店長兼料理長であるおじさんと話していたら、がらりと控え目に入口の戸が開いた。
「…あ、悪ぃ。もう店終わっちまったか?」
「ほんとなら終わりのとこなんだけどねぇ…まあ、アンタなら特別だ。いつものでいいのかィ?」
「ああ、よろしく頼む」
からから、と静かに入口の戸を閉めてカウンター席に着いたその人。
「今日もご苦労様です、土方さん」
「おう。でもそこはお互い様だろ」
いつもかっちり着こんでいる真選組の隊服の首元を少し緩めてふわりと笑う。
その笑顔に私もさっきまでのものとは違う笑顔になる。
お茶を湯呑に注いでそっと土方さんの前へ差し出す。
閉店間近だったため最低限の電気しかついておらず、ほんのりオシャレなバーのような雰囲気があるように思えた。
まあ結局は定食屋で、ムードも雰囲気も何もないのだけれど。
「こんな時間にいつもの、って…大丈夫なんですか?重くないです?」
「マヨネーズのどこが重いんだ?」
疑問に疑問で返されてしまった。しかも、ごく真面目に。
「ふっ、あはは、さすが土方さんです」
「疲れた時はマヨネーズが一番なんだよ」
カウンター席には背もたれが無いため、テーブルに肘をついて頬杖をつく。
「おーい、ちゃん、土方さんにこれ運んであげてー」
「はーい!」
奥から聞こえてきたおじさんの声に返事をして、失礼しますねと土方さんに頭を下げる。
調理場には出来上がった土方さん専用スペシャル定食が御盆に乗って用意されていた。
専用といっても、最初から普通の定食の上にマヨネーズがかかっているだけなのだけれど。
「ああそうだ、今日はこのまま上がっていいよ。今からちゃちゃっと片付けしといちゃうから」
「あ…ありがとうございます!」
おじさんに頭を下げて御盆を持ち上げる。
「お待たせしました、はいどうぞ」
「おっ。今日も美味そうだな、オヤジの定食は」
ほとんどマヨネーズしか見えていないのだけれど、どこで判断しているのだろう。
ぱき、と割り箸を割った音の後、控え目に口を開く。
「あの、私ですね、今日これで上がりなんですよ」
土方さんに見えないところ、カウンターの下でぎゅっと手を握り合わせる。
「ほお、もう夜も遅いし嫌じゃなけりゃ送っていくぞ」
言いきってから白米を口へ運んだ土方さんに二つ返事でお願いした。
「ただし俺が食べ終わる前に帰る準備ができたら、な」
「今から準備してきます!!」
ばっと背中に手を回してエプロンの紐をほどきながら奥の部屋へ続く扉へ向かって走る。
すぐに手を離したせいでばたん、と大きな音を立ててしまった扉に自分でびっくりしてしまった。
「…ふ、面白い奴」
エプロンを畳んでロッカーにひっかける。
身だしなみを軽く整えて、忘れ物はないだろうかと鞄を漁るとゆらりと光るものがあった。
「…あ」
やんわりと点滅を繰り返す携帯電話。
サブ画面に表示された名前は、今、一番、見たくなかった名前。
「………っ」
ぎゅっと携帯を握りしめ、鞄の底へと沈めた。
「準備できましたっ!」
今度はなるべく静かに扉を開け閉めして店に戻る。
「ナイスタイミング、ってやつだな」
きれいに定食を食べ終えた土方さんは御茶を飲みながら私を見てニッと笑った。
食べ終わった食器の乗った御盆だけ奥へ持っていって、おじさんに挨拶をしてから店を出る。
先に待っていてくれた土方さんの顔を見上げる。
隣に立ったのって初めてだけど、背高いんだな。
「随分慌てて準備してきたんだな」
「だ、だって…」
もごもごと口ごもると土方さんはくくっと笑って破顔した。
「ばーか、置いてったりしねーよ」
その笑顔が、声が、脳裏に焼きつく。
どくんどくんと心臓が音を立てる。
「で、家どっちなんだ?」
「あ…あっち、です。そんなに離れてないんですけど」
「近くても送ってやるから心配すんな。で、あっちって屯所と同じか」
なら俺にとっても帰り道だな、と呟く土方さん。
そうだったんですね、と零した言葉はちゃんと聞こえるほどの音になっていただろうか。
家に帰るまでのほんの数分。
土方さんは毎日見回りしてるんですか、煙草吸われるんですね、コーヒー派ですか紅茶派ですか。
そんな他愛も無い話をしているうちに家のすぐ近くまで来てしまった。
「じゃ、ここまでだな。家は見えてても気をつけて帰れよ」
「はい。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる。
じゃあなと言って踵を返す土方さんの背中をじっと見つめる。
待って。
お願い、待って、お願いします。
小刻みに震える手を土方さんに向かって伸ばす。
届かない、気付かれない。
だってそうだ、気付かれないように…気付かないようにしていた。
ここに私のそういう感情は無いのだと何度自分に言い聞かせたのだろう。
私が好きなのはあの人であって土方さんではないのだと、何度、言い聞かせてきたのだろう。
「ひ…土方さんっ!!!!!」
ぎゅっと手を胸元へ戻して、叫ぶように捻りだした声に振り返る。
「ま、また…来てくださいね!待って、ますから!」
「おう。また食いに行くさ」
振り返ってそこまで言い、土方さんは体ごとこっちを向く。
「おやすみ、」
それだけ言い残して去って行ったあなたに、私は声を出すことなんてできなかった。
ずるいよ、そんなの。
名前を呼ばれるだけで、こんなに嬉しいと思ってしまうなんて、もう、私は私を誤魔化せない。
けれど再び鞄の底で震えたそれが私を現実に引き戻す。
ああ、もう。
壊れちゃえばいいのに
(この手を引いて、俺にしろよだなんて言ってドラマみたいに私を助けだしてよ。そんなことを考える私も壊れちゃえ、)
あとがき
どろどろしたお話でごめんなさい。でもこういうのの方が勢いでさくさく書ける不思議。
2012/12/16