ふああ、とあくびをしながら真選組屯所の廊下を歩く。

女中である私に朝稽古は無いものの、やらなければならない仕事はたくさんある。

今日もすれ違う隊士の人たちにおはようございますとあくびを噛み殺しながら挨拶を返していた。

 

 

「あ、おはようさん」

「っお、おはようございます!」

廊下の曲がり角、そこで出会った人の声で眠気が一瞬で吹き飛ぶ。

 

「山崎さん、帰ってらしたんですね」

「うん。昨日の夜…いや、日付的には今日かなあ」

あはは、と乾いた笑いを零す山崎さんにお疲れ様です、と少し頭を下げて返す。

 

 

山崎さんは一週間少し前から偵察に出ており、ずっとこの屯所に戻ってきていなかった。

大勢の隊士さんから地味だのなんだの言われているけれど、私にとって山崎さんがいない日々は仕事も楽しめない毎日だった。

 

 

「改めて、おかえりなさい」

「ただいま。…ってなんか照れるね、さんにおかえりって言ってもらうの」

山崎さんは少しはにかみ、行き場の無い手が自身の髪を梳く。

そんな反応をされると、言ったこっちもなんだか照れてしまう。

 

 

「えと、あの、夜遅かったなら今日くらい朝ゆっくりしてもいいと思いますよ」

移ってしまった照れを冷ますべく話題を変えてみる。

「んー、そうだね。一応副長からも午前は休んでいいって珍しく言って貰ってるんだけど…」

なんとなく起きちゃって、と困ったように笑う。

私だったら遠慮なく休むだろうに。

 

 

 

「っと、あんまり長話しちゃまずいよね。ごめんね、引きとめちゃって」

「い、いえ!久しぶりにお話できて楽しかったです」

引き止めてしまったのは私の方だ。

そして今も、もう少し、なんて思ってしまっている。

 

「それじゃ、今日も一日頑張ってね」

「はいっ」

 

にこりと笑って私の隣を通り過ぎ、廊下を歩いて行く山崎さんの背をみつめる。

 

 

この、ほんの数分間。

何もかもが遮断され、彼の声と表情と、仕草だけで頭が一杯になる。

そのひと時が楽しくて、嬉しくて。

 

それだけで私は今日も一日頑張れるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして今日も仕事が終わる。

ふう、と一息ついてから家へ帰る支度を済ませて屯所の出入り口へ向かう。

 

随分、日も長くなってきたなと視界に入る橙色の空をぼーっとみながら歩いていた。

すれ違う隊士の人たちにお疲れ様です、と声をかけられ笑顔で返事をして歩くのも、毎日のこと。

 

 

門を出て、足を止めてくるりと振り返る。

あの人はまだ仕事中だろうか。

そんなことを思い浮かべ、少し顔が綻ぶ。

 

 

そんな時だった。

さんっ」

私の後ろ、つまり屯所とは反対の方から名前を呼ぶ声が聞こえた。

それも、つい今し方思い浮かべていた人の声。

 

 

 

くるりと声のした方へ体を向けると、真っ黒の隊服に身を包んだ人が走ってくるのが見える。

その人は私が声に気付いたことを確認したのか、少しずつ減速して、私の前で立ち止まった。

 

「今、帰るとこ?」

「は…はい」

あれほど走ってきたのに、ほんの少ししか息が切れていないのは監察とはいえやはり真選組隊士だからだろうか。

 

 

「そっか、今日も一日お疲れ様」

「ありがとうございます、山崎さんもお疲れ様です」

ふわりと笑う彼の言葉が、心にすっと沁みわたっていく。

 

「ただの買い出しだから、お疲れってほどのことしてないけどね」

「買い出しだって、結構大変ですよ。予算以内で、なるべく安く…とか考えながら買わなくちゃですから」

「あはは、確かに。副長の煙草みたいに銘柄決まってれば楽なんだけど。って何の話してるんだろうね」

買い物話なんて、監察と女中という職種の差がある中でできると思っていなかった。

ほんとですね、なんて言って私も笑う。

 

 

「あ、そうだ」

思いついたように山崎さんは片手に下げていたスーパーの袋を漁った。

 

「いつも頑張ってるさんに、はい!」

「え、えっ」

うろたえる私の手を取り、掌の上に転がったのは個包装のチョコレート。

ころりと手から零れ落ちないように、慌てて手の中央へ3つの包みを寄せる。

 

 

 

「貰ってしまっていいんですか…?」

「いいよ、それは買い出し頼まれてたものじゃないから。俺の夜食のおすそわけ」

山崎さんはぱっと手を離して、そっと人差し指を口元へ持って行く。

「余った…っていうか余らせたお金で買ったやつだから、他の人には秘密にしといてくれる?」

こくこくと頷いて、了承の意を伝える。

 

 

 

「それじゃ、俺はこれ届けに行かなくちゃ。まだ明るいけど、気をつけてね」

「はい、あの、ありがとうございました!」

どういたしましてー、と言い残して山崎さんは屯所へと入っていった。

 

 

 

 

山崎さんを見送ってから、掌に乗ったチョコレートに目を向ける。

ほんの一瞬触れた手の感触が、まだ、じんわりと残っている。

 

「あは、勿体なくて食べられないかも」

 

 

火照る顔をそのままに、掌の優しさが溶けてしまう前に鞄にそっとしまいこむ。

 

 

すっと息を吸って、吐く。

そこで今ここが屯所の目の前だったことを思い出した。

人通りが少ない時間帯でよかったと今更ながらに思う。

 

 

「…ありがとう」

山崎さん。

その名前だけ、心の中で呟いて私は再び家へ向かって足を進める。

 

 

 

一日の疲れなんて、いつの間にか消えてなくなっていた。

 

 

 

 

 

貴方で一杯になる瞬間









(明日もまた、お話できますように。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

たまには名字呼びっていうのも、同い年系か年上系でいいかなあと思いつつ。

2013/05/25