事件と言うのは、いつどこで起きるかわからない。
朝昼晩、時間帯もなにも関係なく起こる事件を収めるのが、真選組の役目だ。
そう。どこで事件が起きようとも。
土方は寝起きで固まった体をほぐすように首や腕を回しながら近藤の部屋へ向かう。
会議と言うほどのものではないが、今日の予定の確認をすべく土方は目的の部屋の戸を開けた。
「おっ。おはよートシ」
「あー!お久しぶりね、十四郎ちゃん!」
ピシャン。
勢いよく反射的に、土方の手が戸を閉めた。
「…やっべ。なんか幻覚見えた」
「やだなあ、久しぶりの再会だっていうのに。相変わらず十四郎ちゃんは照れ屋さんだねえ」
閉めたはずの戸を少しだけ開けてニコニコと笑う女。
びくりと肩を震わせて土方は顔を引きつらせる。
「…。なんでここにいるんだ」
「んー…旅の途中に立ち寄ったから、かな」
立ったままの土方を見上げながら、と呼ばれた女は戸の前に座ったまま首を傾げた。
「随分見ないうちにまた一段と綺麗になったと思わんか、なあトシ!」
「そこで俺に振るんじゃねーよ」
ぼそりと呟いたはずなのに、すかさずは土方の声を拾ってニヤリと笑った。
「ふふ、十四郎ちゃんは昔からそうだよねー。女の子慣れしてそうな顔のくせに慣れてない照れ屋さんだもんねー」
「まったく、土方さんったら見ててこっちがモヤモヤしまさァ。早く死んでくだせぇ」
背後から聞こえた馴染みのある声に土方は顔を引きつらせて振り返る。
「てめー突然出てきて意気投合してんじゃねーよ!!」
蹴りあげた足をひょいとかわして沖田はの隣へと移動する。
「お久しぶりでさァ、さん。昔より一段とふくよかになりやしたね」
「あはっ、総悟ちゃんも変わってないねー。背中切りつけてシイタケみたいにしてあげようか」
顔こそ笑ってはいるものの、その声は明らかに怒りを孕んでいた。
彼女、はかつて土方たちが真選組を立ち上げる前からの知り合いなのだ。
正確な歳はわからないが、おそらく土方たちと同じもしくは少し上くらいだろう。
女の身でありながら近藤たちと共に剣の稽古を共にしてきた、侍仲間でもある。
「俺、昔より強くなりやしたから。さんにゃもう負けませんぜ」
「ふーん?でも総悟ちゃんってたまにズルするからなあ…フェアにやったらまた私が勝つかもよ」
にこにこと笑いながら、お互い腰に下げた刀に手をかける。
「あのな、江戸は廃刀令で刀持ち歩いてちゃいけねーんだよ。総悟はさっさと仕事行け」
2人の間に割って入った土方は呆れたような口調でそう制した。
「ええー。刀使えないの?久しぶりに会えたし、手合わせしたかったのになあ」
「残念だったな。そういうわけだから、大人しく帰…」
「いいじゃないかトシ、屯所内ならかまわんだろう」
「なっ、近藤さん!」
腕を組んでうんうんと頷く近藤を見上げてはぱあっと顔を綻ばせた。
「わあ、さすが近藤くん!優しいねー!どこぞの誰かと違ってねー!」
「うるっせえよ!つーか俺も総悟も今から仕事なんだ、てめーに構ってる暇なんざねーよ!」
「俺はいつでもサボる準備はできてるんで」
「総悟ォォォォ!!!」
土方はタイミングよく口をはさむ沖田に向かって殴りかかる。
ひょいひょいとその手をかわしながら2人は廊下を走っていってしまった。
「…変わってないね、みんな」
「はは、男なんてそんなもんだ」
と近藤は走り去って行った2人の背中を見つめ、どこか遠い昔を思い出すように顔を見合わせ笑った。
初めて歩く真選組屯所内は迷路のようで、現在位置ももう分からないままはひたすら廊下を進んでいた。
そしてやっと見知った顔をみつけ、手を振って駆け寄る。
「十四郎ちゃん!」
「おまっ、まだいたのかよ」
露骨に嫌そうな顔をした土方に駆け寄り、彼の顔を見上げる。
「道に迷っちゃって。帰ろうにも帰れなくて」
「………」
土方は重いため息を吐いて、ついてこいと小さく零した。
迷うことなく進んでいく足は速く、ときどき小走りになりながら土方の背を追う。
「十四郎ちゃん足速いー」
「お前が遅いんだろ」
土方はの不満そうな声に耳を傾け、少しだけ歩く速さをおとした。
「ありがと、十四郎ちゃん」
「…その呼び方、いい加減やめろよな」
半歩後ろを歩くを横目でちらりと見て視線を前に戻す。
「えー、今更変えるのもなあ…。昔は十四郎ちゃんって呼んでも何も言わなかったじゃない」
「言ってただろ!つーか言った!言っても聞かねーから諦めてたんだ!」
「じゃあ諦めたままでいなよ」
この方が落ちつくし、とは笑った。
そんな彼女を振り返って土方は足を止める。
「あのな。わかるだろ、もうガキじゃねーんだよ。良い歳した男をちゃん付けで呼ぶんじゃねえ」
「えー」
は不満そうな顔と声で土方の言葉を否定した。
「…うーん。でも他の呼び方なんて嫌だなあ…」
「なんでそんな頑ななんだよ。もっとほら…名字とかあるだろ」
「土方ちゃん?」
「ちゃんから離れろ」
我慢の限界がきたのか、土方はの頬を両手でぐいっと引っ張った。
むにむにと頬を引っ張る土方の手をは払い落し、ばっと両手で頬を抑える。
「ちょ、ばか!なにすんの!十四郎ちゃんのばか!」
「まだ言うか。今後ちゃん付けで呼んだらまた引っ張るぞ」
にやりと笑って両手をわきわきと動かしてやると、は3歩ほど後ろに後ずさった。
「ったく、どっちがガキだよ」
眉間にしわを寄せるを見て土方はため息と一緒に手を下した。
「…ガキはとうしろ…そっちの方だよ」
慌てて言葉を押さえこみ、ふいとそっぽを向く。
「今更名字呼びなんて余所余所しいし、かといって名前呼びって…なんか、恥ずかしいじゃない」
「あ?」
ぼそぼそと呟くように言ったの声をあやふやに拾って土方はを見下ろす。
「ほんと、ばか!女の子にむやみに触れちゃいけません!」
「はあ?」
少し頬が赤いのは、土方が引っ張ったせいか否か。
その答えを隠すようには土方の横を通り越して、くるりと体を反転させる。
そして土方が振り返る前に、どんっと背中に飛びつくように額を押しつけた。
「ちょっと見ないうちに一段とかっこよくなっちゃってさ。そこんとこ、自覚して動かないとだめだよ」
背中で呟かれた言葉は少し聴き取り辛くも、しっかり土方の耳に届いた。
「自分が気付かないうちに…誰かをひっかけてるかもしれないんだから」
ほんの少し、土方の思考が停止した瞬間には彼の背中からぱっと離れた。
「そんだけ!じゃあね、十四郎!」
真っ直ぐ続く廊下を走り去っていくの背を見つめて、土方はいつも以上に目を見開いていた。
「…ばっかやろ、それお互い様だろうが」
ちいさく舌打ちした頃にはの姿はもう見えなくなっていた。
残された土方は、表情が緩まないよう口元を抑えて進行方向を近藤の部屋へと変えた。
変わる外見と変わらない心
(近藤さん、あいつ、いつまで江戸にいるっつって言ってた?言わなきゃなんねーことができちまったんだ。)
あとがき
いいと思うんですけどね、ちゃん呼び。
2013/06/30