季節は流れ、秋の風が吹く10月。
お昼を過ぎて丁度小腹がすいてくる、そんなおやつの時間帯を見計らって私は万事屋へと向かっていた。
手に持った箱を傾けてしまわないよう、いつもより慎重にその道を歩く。
人にぶつからないように歩いていると、前方に見知った顔をみつけた。
「神楽ちゃん、新八くん。こんにちは」
「こんにちはさん。今から万事屋ですか?」
「うん、丁度おやつ時だし…その、自然な感じで行けるかなって」
手元に視線を落とすと、つられて二人の視線もそこへ移る。
「ほほう、ということはコレが例のやつアルか」
「神楽ちゃん、その怪しい言い方やめようね」
冷静にツッコミを入れて神楽ちゃんを牽制してから、新八くんは私に安心させるよう微笑んだ。
「大丈夫ですよ、ちょっと前から銀さんには糖分とらせないようにしてましたから」
「そーヨ!今なら銀ちゃんの胃袋ごとゲットできるネ、糖分で天パが釣れるアル」
箱の中身を知っている二人はそう言って笑って、頑張ってと見送ってくれた。
「ふふ、ありがとう。そんなたいそうなことをする気はないけど…頑張って渡してくるね」
「頑張るネ!」
「銀さん、きっと喜びますよ」
そんな二人の言葉に背を押されて、再び万事屋へと歩き出す。
「…まあちょっと、やりすぎた感はあるよね」
「ウン。が行くまでに糖分不足で死んでなきゃいいけど」
そんな二人の声は私には届かなかった。
向かう先は、少し前にお世話になった万事屋さん。
天人に絡まれていたところを助けてくれたその人に心を惹かれて早数日。
これといった進展があるわけではなく、ただ、知り合い以上友人以内という関係が続いていた。
今のままの関係でも十分に幸せだと、頭で考えていても心はそうは言ってくれない。
もう少し、あなたの傍に近寄れたらいいのに。
もう少し、いいえもっと、あなたのことを知ることができたらいいのに。
手に持った箱を揺らさないように気を付けて万事屋の玄関へ続く階段を上る。
誕生日だから、という言い訳を武器に玄関のチャイムを鳴らした。
「こんにちはー…」
少し上ずってしまった声に一人で恥ずかしくなる。
けれど反応は無く、どういうことかと少し首を傾げた。
さっき会った神楽ちゃんと新八くんの口振りからして、留守ということはないはず。
少し躊躇ってから玄関の戸に手をかけると、予想通り鍵はかかっていなかった。
「ぎ、銀さん?こんにち…わぁぁあっ!?」
居間を覗いて思わず驚きの声が出てしまった。
ソファに仰向けに寝転がっているのはいいのだが、肘掛の部分に首を乗せて頭はソファから落ちたままだ。
それもこちらを向いたままの状態。知らない人が見たら軽くホラー光景だろう。
血が頭に上って気持ち悪くならないのだろうかと思いながら銀さんの傍へ駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか…?」
「あぁ…誰かと思えばか…。悪ィな、ここのところ糖分摂取できてなくて、もう死にそうで死にそうで」
確かにいつも死んでいる目が今日は更に死んでいる気がする。
「あ、あの…もしよければ、ケーキ持ってきたんですけど」
食べます?と聞く前に銀さんは体を勢いよく反転させ、目を輝かせて言った。
「女神様ァァァァ!!!いただきます!!!」
保冷剤を入れてきてよかったと心底思った。
ソファで死にかけていたとは思えない速さで銀さんはお皿やフォークとナイフ、飲み物を準備してくれた。
「ほんとはいちご牛乳があればよかったんだけどな。まじで今糖分系のものが無いんだよ」
「いえ、そんな、お気遣いなく」
淹れてもらったお茶から上る湯気は薄く、おそらく飲むのには丁度いい温度なのだろう。
「でもなんでケーキなんて持ってきてくれたんだ?」
「そっ、れは…その、神楽ちゃんたちから、今日は銀さんのお誕生日って聞いて」
「わざわざ買ってきてくれたのか!?」
その問いに、こくりと小さく頷く。
本当はそうではないけれど、恋人でもなんでもない女から手作りケーキなんて渡されても困るだろう。
ましてやこんな二人きりと言う状態で空気が悪くなっても困る。
きっとこれが最善の選択肢なのだと私は私に言い聞かせた。
「ありがとな、。その、なんつーか、すげー嬉しいわ」
あいつら全然覚えてなかったっぽいし、と早口で捲し立てる銀さんの頬が少しだけ赤い。
そんな顔を見られただけでも私は幸せで、喜んでもらえて嬉しいですと答えながら保冷剤を机の端に寄せた。
ケーキを切り分け、銀さんのお皿にだいたい4分の1ほど移す。
ちなみにこれは銀さんのリクエストであって、私が勝手に切り分けたわけではない。
…神楽ちゃんたちが帰って来た時、このケーキの残りはあるだろうか。
「よしじゃあいただきます!!」
「いただきます」
言うと同時くらいにフォークを突き立て、ケーキを口へ運ぶ。
ほんとうに糖分に飢えていたんだろうなあと思う食べっぷりだ。
「うおお美味ぇ!なにこれどこの甘味屋!?」
「えっ、えっと」
どこと言われても、しいて言うなら私の家だ。
「ここからちょっと離れたところに新しくできたお店で、私も行くのは今日が初めてで」
「マジでか。それはノーチェックだったな…よし、今度俺も連れてってくれよ」
「は、はい!もちろん!」
反射的に返事をしてしまったが、どうしたものやら。
とはいえこれはデートの約束になるのではないだろうか。
いや、ただのお出かけだろうけど、私の中ではデートということにしてしまおう。
幸せそうにケーキを口に運ぶ銀さんを見ながら、熱くなってきた体を覚ますように私もケーキを口へと運んだ。
味見をした時よりもずっと柔らかく思えた生クリームの甘さを感じる余裕なんて、既になかった。
「はー、美味かった!ごちそうさま!やー、はいい嫁さんになるわ」
「そんな大げさですよ、私なにもしてませんもの」
ケーキ切り分けたくらいでそんなこと言われても困ってしまう。
残った、というよりは夜の為に残したケーキはあと4分の1。
おそらく神楽ちゃんたちの分はないのだろう。
「何言ってんだよ、美味いケーキ作れる奴はいい嫁になれるぜ?」
「…えっ?」
フォークに残った生クリームを舐めながら銀さんはソファに凭れかかり、にやりと笑う。
「ばーか。市販じゃねーことくらいわかってんだよ。味が違ぇもん」
「え、えっ、じゃあなんで、あんなこと聞いたんですか!?」
すごく返答に困って、架空のお店まで作ってしまったことが急に恥ずかしくなってきた。
「目ェ泳いでるがすっげー可愛かったからかな」
「か、可愛くなんか」
「銀さんが可愛いっつってんだから認めなさい」
からん、とフォークがお皿に落とされた音で思わず口を噤む。
「なあ。実は俺さ、もうひとつ欲しいものがあるんだよ」
銀さんは凭れていた背をソファから離し、両手を膝へ置いて少し前屈みになって視線を合わせる。
「ご、ごめんなさい、私、今日はケーキしか持ってきてなくてプレゼントなんて」
「大丈夫、物じゃねーから。あぁ、体でもねーから安心しろよ」
その言葉にびくりと体を震わせた私を見て、少し笑ってから銀さんは私の隣を指差した。
「そこ。そこが欲しい、の隣にいる権利が欲しいんだ」
何度か瞬きをして、言われた言葉を頭の中で繰り返す。
「えっと、その、それはつまり」
「座席的な意味じゃねーからな。もっとこう、末永い意味だからな」
言っておいて少し照れてきたのか、銀さんは私の視線から逃れるように目を逸らした。
もう少し近くへ行けたなら、あなたの傍にいられたならどんなに幸せだろう。
でもそれはただの私の我儘でありエゴだと思っていた。
けれど、あなたも同じことを願ってくれるなら、私の答えは最初から決まっている。
「ここでよければ、銀さんにプレゼントします。…受け取ってもらえますか」
そう言った瞬間、銀さんは一瞬目を見開いてから勢いよく机を飛び越え、私の隣へと着地した。
突然の事に驚き目を瞑り、次に開いた時には銀さんに思い切り抱きしめられていた。
「っしゃあぁぁ!!あーやっべ、すげー緊張した!」
「ちょ、ちょっと、銀さん!危ないですってば!」
幸いコップは倒れなかったが、中身には歪な波紋が漂っていた。
良く見ると残してあったケーキに乗っていた生クリームが皿に溶け落ちている。
「誕生日にでもかこつけなきゃ、こんなこと言えねーけど、が来なかったら何の意味もねーし」
来てくれてよかった、とほっとしたように笑った。
「糖分不足で頭まわんねーし、どうしようかと思ってたからよ。まじ女神さまかと思ったんだぜ」
「あれ冗談じゃなかったんですか」
少しだけ近すぎる距離を開けるように銀さんから離れる。
「でも、私もほとんど同じ事考えてました。誕生日だから、っていうのを言い訳にしてケーキ持って行こうって」
「ふーん。じゃあ俺の誕生日祝いはついでだったのか?」
「そっ、そんなことは!」
ないです、と言いかけて言葉を止める。
にやにやと笑っている銀さんは私が次に言う言葉を分かっているのだろう。
なんだか悔しくなり、私は思い切って銀さんの首に腕を回した。
「ついでじゃありません、寧ろずっと、隣にいてください。これから先も隣で銀さんのお誕生日をお祝いさせてください」
「………」
抱きついているせいで顔は見えないけれど、硬直している銀さんの身体の温かさが少し増したのを感じてくすりと笑う。
「お誕生日おめでとう、銀さん」
生クリームが溶ける温度
(生クリームどころか、たっぷり入れてきた保冷剤すら溶かしてしまうのは、きっとあなたへの愛情の所為。)
あとがき
甘くなれと唱えながら書いてました。おめでとう銀さん!
2013/10/10(企画サイト様にて公開) → 2014/01/19