いくらかぶき町が賑やかで事件の多い町とは言っても、一般人には遠い話だ。
ニュースや瓦版で見るくらいで、大して変わらない毎日を送り続けていた。
着物屋、いわゆる服屋で働く私もその一般人に含まれる。
今日もいろんなお客さんに着物をオススメして笑顔になって頂いて、私も嬉しくなって仕事を終える。
ただ、今日は少しだけ違った。
ここ何カ月かよく来てくれる顔なじみのお客さんに、ちょっと相談があるからと終業時間を聞かれたのだ。
いくら顔なじみとはいえ普段ならそんなこと教えないのだが、その人の素性は少しだけ知っている。
このかぶき町で万事屋を営む、坂田さんという方。
きっとこの辺りではその名を知らない人の方が少ないだろう、ちょっとした良い意味でも悪い意味でも有名人さん。
お疲れさまでした、と告げて他の従業員さんたちを見送る。
一番最後に鍵を閉めて、裏口から出るとそこには白い着物を着た人が立っていた。
「すみません、坂田さん。遅くなってしまって」
「いや、いいって。俺こそ急に悪いな」
季節は春に向かっているものの、まだ夜は冷える。
街灯に照らされて、坂田さんの鼻の頭が少し赤くなっているのが見えた。
「万事屋さんが相談、なんて不思議ですね。お着物のことですか?」
私の家の方へと歩きながらそう話す。
どこか行こうかと尋ねたのだが、坂田さんがそれを拒んだのだ。
「あーまあうん、そう、そうだな」
「それならお店が開いてる時に言ってくだされば色々試着できましたのに」
「まだ試着するとか言うほど決まってなくて」
寒い夜のせいか、道行く人は少ない。
「つってもアイデンティティのためにオシャレするわけにもいかねーんだけどさ」
坂田さんのアイデンティティなんて、着物以外にもたくさんある気がする。
腰に下げた洞爺湖という名の木刀に、綺麗な銀髪、それからいつも死んだ目でお店に来るのに着物を選ぶ時の真剣な目。
初めて見た時、とても、綺麗な横顔だと思った。
「きっ、着物以外にも帯やベルトで雰囲気を変えることもできますよ」
「なるほど、そういやそうだな」
いつの間にか坂田さんの顔を見上げてしまっていて、ぱっと視線を前に戻す。
「…ちゃん」
「えっ!?」
「えっ」
突然呼ばれた名前に驚いて変な声が出た。
そのあとに続くように坂田さんからも間抜けな声が出た。
「あれ、違った?」
「いいえ、合ってます、けど、どうして…」
「いつも名札つけてんじゃん」
そう言って自分の胸元を指す。
確かに仕事中は胸元に名札をつけている。
店内に同じ名字の人が3人いるため、店長が紛らわしいからという理由で名前を下げて仕事しているのだ。
とはいえ、まさか覚えてくれていたなんて思っていなかった。
「よく、覚えてましたね…」
「ちゃんだって俺の名前っつーか名字覚えてんじゃん」
「だって坂田さんはこの辺りじゃ有名ですから」
「マジでか。サインの練習とかしといた方がいいかな」
冗談めかして言う坂田さんに小さく声を零して笑う。
「ああ、でも、ちゃんは付けなくていいですよ。そんな歳でもないですし」
「でも俺より下だろ?」
「そう、でしょうか」
人はみかけによらないというが、坂田さんは不思議な人でさっぱり年齢が見て分からない。
きっと私よりは、上なんだろうけど。
「じゃあ……」
少しだけ、低く掠れた声。
言っておいて何だけれど、驚いて足と心臓が一瞬止まった。
すっと私の前に向かいあうように立った坂田さんの目が、やけに真剣で思考が止まる。
周りに人はおらず、建物の間を吹き抜ける風の音が小さく聞こえるだけ。
「急にこんなこと言われても困るだけかもしれねー。けど、どうしても言っておきてーんだ」
何か思いきったように、坂田さんは私の目を見て言葉を紡ぐ。
「が、好き、です。俺と付きあってくれませんか」
言い慣れていないのか緊張なのか、どこかたどたどしい声。
その声の内容が数秒遅れて頭に入ってくる。
「……えっ?」
だめだった。
頭が処理不能だと告げている。
「えっ、て。え?なにこれイエスでもノーでもないってちょっと俺どうしたらいいのこれ」
目を見開いて立ち尽くす私には早すぎる口調で坂田さんは喋り続ける。
「いやまあ俺が言いたかっただけだし、期待なんかしてなかったし、ぶっちゃけ彼氏いたらどうしようとか今気付いたし」
そう言って一歩後ろへ下がる。
「なんつーか言っておかねーとなんかモヤモヤして気が気じゃなかっただけで、や、気にしなくていいから、その、悪い!」
「あ、ま、待って!!」
くるりと踵を返そうとした坂田さんの腕を掴もうと手を伸ばす。
ぐっと袖の袂を掴んだところで、急にかくんと体が沈んだ。
「ちょっ、オイ、大丈夫か!?」
しゃがみ込むように崩れた私の身体を支えるように一緒にしゃがんでくれた坂田さん。
「…ご、ごめんなさい、その、びっくりして…腰が抜けたみたいで」
「えぇー…」
困ったような驚いたような、そんな声に申し訳なくなってもう一度ごめんなさいと声に出した。
「えっと、その、お、お返事を…」
やっとさっき言われた言葉が頭に回ってきた。
「……べ、別に急いでねーから、そんなんいつでもいいから」
「駄目です!!」
ばっと顔を上げて叫ぶように言うと、坂田さんは驚いたような顔をしていた。
「あ、ごめんなさい、その…今言わないと、きっと言えなくなってしまうから」
後日改めて、なんてする勇気が私にあると思えない。
「その、私こういうの初めてで…なんてお返事したらいいか…」
冷えた指先を温めるように手をぎゅっと握り合わせて、声を出す。
「私、まだ坂田さんのことよく知らなくて、好きとか、わからなくて…」
「…うん」
さっきの坂田さんなんて比べ物にならないくらいたどたどしい口調なのに、坂田さんはちゃんと聞いてくれる。
支えるように腕に添えられた手が温かい、
「でも、嬉しかったのは、間違いないんです」
そう言うと坂田さんの手がぴくりと反応した。
「だから、その、お、お手柔らかにお願いします」
「……つまり、おおおおオッケーってことで?」
俯いて行く私の顔を覗きこむように坂田さんが首を傾げる。
もうこれ以上声なんて出なくて、小さくこくりと頷いた。
「っしゃあああああああ!!!!!やっべなんだこれ夢か?夢じゃねーよな!?」
「さ、坂田さ、ひゃっ」
ぐいっと掴まれていた腕を引かれ、坂田さんの体に飛び込む。
ぎゅっと背中に回された腕で、全身がぼわっと温かく、熱くなる。
「すっげ嬉しい、これで夢だったらまじ神様呪うから、神棚片っ端から粉砕してやっから!」
「あの、坂田さんっ」
だめだ聞いてない、なんかすごい事を言ってるけれど聞こえていないようだ。
「っと待った、さっきこういうの初めてっつってたよな?それってもしかして今まで男できたこと…」
「…き、聞かないでください。それは触れちゃいけないとこです」
ぼそぼそと小声で言ったのにその言葉は聞きとってくれたようで、坂田さんはもう一度驚きの声を上げた。
「マジか、マジでか、なんだこれ盆と正月とクリスマスの3点セットで来ちゃった感じじゃねーか」
今尚、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる腕を押しのけることもできなくて、私の心臓はそろそろ限界だ。
それを告げようと顔を上げた時。
「絶対、優しくすっから。大事にするからな、」
そう言って照れたように笑った坂田さんと目が合って、再び私の身体は崩れ落ちた。
大事件は唐突に
(「ほんと、お手柔らかにお願いします…」「する、お手柔らかにする、けど、やっべ自信なくなってきた」「ええ!?」)
あとがき
導入という名の心の準備が長くなりました。
2014/01/19