田舎からかぶき町に引っ越してきて、早くも1カ月が経った。

仕事にも少しずつ慣れてきたけれど、まだ怒られることも度々ある。

少し沈んだ心に気付いてくれるのは私の愛車である自転車を破壊した坂田さんくらいだった。

いや、坂田さんくらいにしか話せる相手はいなかった。

 

 

そんな日々が続くと思っていた1週間前。

私の自転車を坂田さんと一緒に買いに行き、今はもう自分で通勤している。

 

それでもたまに私の仕事場、ターミナルの近くでは坂田さんに会っていた。

 

 

 

 

「よっ。今日もお疲れさん」

「坂田さ、わっ」

放られたそれを反射的に受け取り、ほんのり温かいそれを見る。

熱くもなく、ぬるくもなく丁度良い温度になっている缶コーヒーにはカフェイン控え目と書かれていた。

 

「俺からの差し入れ。って仕事終わりなら差し入れって言わねーか」

「いえ、嬉しいです、ありがとうございます」

ぎゅっとそれを両手で握り直した。

 

 

 

私は自転車押しながら、坂田さんは原付を押しながら帰り道を歩いていた。

「どうよ、ターミナルでの仕事は。嫌な奴とかいねえ?セクハラしてくる上司とかいたら言えよ、なんとかしてやる」

「大丈夫ですよ、うちの部署は女の人多いですし」

「それ余計怖くね?お局様とかいたら気をつけろよ」

1カ月通ってみて何も感じていないから、おそらく部署がよかったのだろう。

その事を告げると坂田さんはそいつはよかった、と笑った。

 

 

そのまま話しながらアパートへ向かう。

玄関先でおやすみなさい、と言うのもだんだん慣れてきてしまった。

 

「明日は休みなんだろ?ちゃんとゆっくりしろよー」

「坂田さんは明日お仕事なんですっけ、頑張ってくださいね」

「おう、まー大した仕事じゃねーけど頑張ります」

そんじゃ、と言って坂田さんは原付に跨りかぶき町のネオン街へと走っていった。

 

 

 

 

 

話しやすい人だった。気遣うのが上手い人だった。優しい人だった。

だから、都会での生活も不安を感じることが少なくなった。

幸せ、だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、目が覚めた時はもう昼に近い時間になっていた。

寝過ぎて少しだるい体を起こしてから部屋の掃除をして、身支度をする。

そろそろスーパーもタイムセールが始まるかなという時間を見計らって家を出た。

 

 

それが、まずかった。

 

 

「ありがとう、銀さん。警察の人もなかなか対応してくれなくて困ってたのよ」

「いーってことよ。あの税金泥棒共、美人の相談も聞けねーってどういうことなの、ホモなの?」

「あら、まったく対応してくれなかったわけじゃないわよ。今は別の事件で忙しいんですって」

 

ふわりと綺麗に笑う、まさに坂田さんが言う通りの美人な女性だった。

その二人の後ろ姿はまるで。

 

 

 

 

息が止まりそうになった。

踵を返して来た道を戻る事も怖くて、私はすぐ近くの横道へと逃げるように走り込む。

電柱に手をついて、ぎゅっと着物の胸元を掴んで息を吐いた。

 

「…はは、やだなぁ」

乾いた笑い声が零れる。

 

 

何を期待していたんだろう。

何を勝手に一人で舞い上がっていたんだろう。

勝手に思い込んで、勝手に幸せな気分になって、勝手に妬いて。

 

 

「妬、く…?」

自分で思った言葉に疑問の声が出た。

それじゃあ私は、あの人のことを、そういう気持ちで見ていたということになる。

 

違う、そうじゃない。

ただ良くしてくれただけで、ただ話しやすい人だと思っただけ。

それだけでしょう、ねえ、私。

 

 

「…私、あの人のこと、あんまり知らないや」

あんなに素敵な人だもの、彼女くらいいるだろう。

なんでそれを考えなかったんだろう。いや、考えようとしなかったんだろう。

 

 

さっきの人だろうか。

それとも別の人だろうか。

もっともっと、優しくしてあげるのだろうか。

 

 

 

 

「……やめよう、考えるの」

ついさっきまで幸せだったじゃない。

これからもそういう日々が続くだけで、十分でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

休日が終わり、また月曜日がやってくる。

変わらない日々を過ごして巡ってきた金曜日の帰り道。

残業でいつもより少し遅くなったこともあり、夜道を照らすネオンはいつもより明るく思えた。

 

 

「あっれ、おっかしーな。こんな時間なのに何やってんのちゃーん」

呂律が回っていないような、上擦った声に自転車を停める。

 

「坂田さん…」

今日は原付には乗っておらず、ほんのり赤い顔で屋台から出てきたその人の名前を呟く。

 

 

「びっくりした、まさかこんな時間に会うとはなー。どうよ、一人酒にも飽きてきたんだけど」

そう言って坂田さんはお猪口を持つような動作をする。

「ごめんなさい、私、お酒弱くて…きっと相手は務まりません」

「んじゃお酌してくれるだけでいーからさ。手酌は行き遅れるらしーからよ」

それは女の人の話でしょう、と笑うと坂田さんは、そーだっけ、と笑った。

 

 

 

 

流されるようにして結局居酒屋に入ってしまった。

アパートまでもう少しだし、金曜日だし、と自分に言い聞かせて坂田さんと向かいあう形で座った。

暖簾のように垂れ下がった布で仕切られた空間は、個室のようだが、隙間から聞こえる声がそうではないと思い出させる。

 

「好きなの頼んでいいぞ、今日は俺の奢りだ」

「え、そんな」

「呑み屋に女引っ張ってきて金出させるようじゃ、男としてアウトだろ?」

それに今日は結構な収入あったから心配すんな、と坂田さんは遠慮なく熱燗を頼んでいた。

 

 

軽めのチューハイとおつまみを頼み、喉を潤す。

久しぶりに飲んだお酒は甘くて美味しく、体の中がぽかぽかと温まる。

 

 

 

今日はどんなお仕事だったんですか、なんて世間話をしているうちにコップに注がれていたチューハイは無くなりかけていた。

私が一杯飲む間に坂田さんは3,4回くらい注文していた。

既に酔っているだろうに、よく飲むなあと心配にも似た感心をしてしまう。

 

 

ってさ、まじで酒弱いのな。一杯で顔赤いぞ」

「え、あ、あはは、久しぶりだったから回るの早いのかもしれません」

すぐ顔に出る性質でよかったかもしれない。

理性を飛ばすわけにはいかない、今の私は何を言ってしまうか分からないのだから。

 

 

「坂田さんもそろそろストップかけた方がいいんじゃないですか?」

「なーに言ってんの、酔ってねーからまだいけるって」

「いや酔ってますよ、酔ってない人ほどそう言うんですから」

私の声も聞かずメニューに手を伸ばし、どうしようかなーなんて鼻歌交じりで言う。

 

 

いっそ酔ってしまえばいいのだろうか。

今日の事を忘れるくらい、酔ってしまえば、いや、違う。

坂田さんが今日の事を忘れるくらい酔っていれば、聞いてしまってもいいだろうか。

 

メニューで見えない坂田さんの顔をみながら頭の中で言葉を選ぶ。

女と飲んでて、怒られませんか?

休日はデートとかするんですか?

 

…彼女は、いるんですか?

 

 

 

「さ、さか」

「うっし決めた!はどうすんよ?」

ぱっとメニューを下ろした坂田さんの言葉に息が詰まる。

 

「…の、ノンアルで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ごちそうさまでした、と告げてお店を出る。

お酒で温まった体には丁度良いくらいの温度に感じる外の風を浴びて、少し頭が冴えてきた。

 

「ほんとに奢ってもらってよかったんですか」

「おう。俺も一人酒しなくて済んで助かったしな」

「ごちそうさま、ありがとうございます」

お辞儀をしてから乗ってきた自転車に鍵を挿し、鞄を前かごに入れる。

 

 

「よっし帰るか」

「ですね。それじゃ」

さようなら、と言おうとしたところで坂田さんはハンドルを握る私の手に自分の手を被せた。

 

「待ーった待った、なに一人で帰ろうとしてんの。送ってくって」

「え、大丈夫ですよ、もうすぐそこですし。…私より坂田さんの方が心配です」

足元はしっかりしているようだけれど、顔は真っ赤だし冗談かなにかかと思うくらい呂律が回っていない。

 

 

「心配してくれんの?うっわ、ってばやっさしー!」

「ちょ、叫ばないでくださいよ!」

恥ずかしいじゃないですか、と言いながらその場を逃げるように歩き出した。

 

 

 

「あいつも、くらい優しくしてくれたらいいんだけどなァ」

 

 

無意識に零れたんじゃないかと思うような声だった。

私じゃない、どこか遠くを見つめる目は、私に向けるようなものじゃなくて、もっと、親しみを込めた目。

 

 

 

 

アパートまで、10分とかからないだろう。

乗せられたままの手の温かさが、泣きたくなるほど優しくて、しあわせで。

 

はやく、帰りたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

押し留める









(ねえ、何人の女の人に手を差し伸べたの、優しくしたの、助けてあげたの。苦しい、醜い、痛いよ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

悲恋で終わるならここ。

2014/04/06