仕事をしている間は余計な事を何も考えなくていい、それが救済になるなんて思いもしなかった。
週末、久しぶりに遅くまで残ってしまい時計を見るともう夜の10時が近づいていた。
帰り支度を整えて会社を出ると、ばったり隣の部署の先輩に遭遇した。
「あれ、さんまだ残ってたんだ?」
「気付いたらこんな時間で…先輩もお疲れ様です」
あまり喋る機会はないけれど、たまに顔を見合わせているうちに名前を覚えられていたらしい。
「もうこんな時間だけど大丈夫?送っていこうか?」
ちゃり、と車の鍵を揺らす。
「…ありがとうございます、でも私、自転車あるので、今日は遠慮しておきます」
「そっか、気をつけてね」
そう言って笑う先輩の笑顔が、少しだけあの人と被って見えた。
帰り道に会わなかったことに、ほっとする。
その反面、どこか寂しく思っている自分もいる。
いっそ聞いてしまおうか、彼女はいるんですか、と。
でも私が望んでいる答えが返ってくるとは限らない。
それにもう2週間くらい会っていないあの人に、どうやって切り出したらいいのだろうか。
「…もう、やだ」
眉間にしわを寄せたまま、目を閉じた。
運命は優しくないもので、私の願いなんてちっとも聞いてくれない。
「よ、なんか久しぶりだな」
買い物に出かけなければよかったと思うのは、これで2回目だろうか。
「なんだよそんなポカーンてしちまって。え、なに、俺の事もう忘れちゃった?」
「…さかた、さん」
「そうそう。あーびびった、忘れられてたらどうしようかと思ったぜ」
頭を掻きながら苦笑いをする坂田さん。
苦笑いをしたいのは私の方だ。
「久しぶりだったので、すこし、驚いてしまって。今日はお仕事ないんですか?」
前と同じように笑えていることを願って、私はそう話す。
「おう。この前なかなかいい物件があってよ、今日はパフェでも食いに行こうかと思ってさ」
「パフェ、ですか」
「そうそう。糖分は世界を救うんだぜ」
糖分で救われる世界ってなんなんだろう、と一瞬考えてしまった。
その隙に坂田さんは言葉を続ける。
「も仕事休みなら、一緒に行かね?奢るぜ」
断れなかった。
おかげで休日のおやつ時に甘味屋で坂田さんと向かいあって座るという状況になってしまった。
坂田さんは、今まで和甘味しか作らなかったお店が和風パフェというものを出したらしく、それを食べに来たらしい。
私があんみつパフェ、坂田さんが黄粉白玉パフェ。
テーブルに運ばれてきたパフェは落ち着いた色合いながら、パフェらしい見た目をしていた。
「おおお、あのジジィぜってー和物しか作れねぇと思ってたが…やるじゃねーか…!」
「知り合いなんですか?」
「通ってるうちに、な」
既にスプーンに手を伸ばしている坂田さんは私の目なんてまったく見ずに言葉を返す。
よほど甘い物が好きなのだろう。
クリームと餡子という組み合わせがうまくいくのか少し心配だったが、思ったよりも相性はよかった。
おいしい、と素直に口から言葉が零れる。
糖分は世界を救うというのは、こういうことなのだろうか。
なんて考えていると、視線を感じた。
私にじゃなくて、パフェに。
「…一口食べますか?」
「え」
ばっと顔を上げた坂田さんは驚いた顔をしていた。
「…そんなに、分かりやすい顔してたか?」
「とっても」
「うっわすげー恥ずかしい」
背もたれに体を預けてスプーンを咥える坂田さんが可愛く見えて、思わず笑ってしまった。
笑うんじゃねーよ、と言われても怖さなんてまったく感じない。
「いいですよ、一口どうぞ」
少しパフェの器を前に出して坂田さんに近付ける。
「遠慮なんてしねーぞ、いいのか?」
「もちろん、どうぞ」
「っしゃ!いただきます!」
さく、とパフェに私のじゃないスプーンが刺さる。
もぐもぐと口を動かして味を確かめる坂田さんに、どうですかと問うとこくこくと顔を縦に振った。
「ん、こっちも美味ぇな。やー、2人で来ると2味食えていいもんだな」
さんきゅ、と器を私に差しだす。
そして気付いたように自分のパフェの器も私に差し出してきた。
「もほれ、こっち味見してみろよ。結構いけるぞ」
「えっ」
こうなることを予想しなかった私もいけないが、この状況は非常に、まずい。
どくんどくんと今まで静かだったはずの心臓が警報の様に音を立てる。
なんだこれ、なんだこれ。
これじゃまるで、私の望んだ世界のようじゃないか。
「あ、黄粉苦手か?」
「いいえっ!そんなこと、ない、です」
手が震えないようにそっと坂田さんのパフェをすくって口へ運ぶ。
甘い、というくらいしか味なんて分からなくて、こっちも美味しいですねと反射的に返した。
沈黙に耐えるように食べ進めていたパフェは、坂田さんより少し遅れてなくなった。
緑茶が喉を通り、体の中に温かさが沁みわたっていく。
「でも、私でよかったんですか」
「ん?」
息が苦しくてたまらないけれど、きっとこのまま帰ってしまったらもっと苦しくなるのだろう。
ちっぽけな勇気を振り絞って私は小さな声を坂田さんへと向ける。
「せっかくのお休みなのに、彼女さんと来なくてよかったんですか?」
その問いかけに返事は遅かった。
「…え?待てよ、なに、誰の彼女?俺?いねーよ、そんなん」
え、と疑問の声が出たのは今度は私の方だ。
「じゃあ、彼氏さん…?」
「ちげーよ!!なんでそうなった、俺は普通に女の子が好きです!」
全力で否定された。
いやまあ、そこは否定してほしいところではあったけれど。
「まあ、気になってる奴はいるんだけどな」
ああ、やっぱり、と心にすとんと言葉が落ちる。
「ちょっと聞いてくれねえ?」
ぐっと残っていたお茶を飲み干して坂田さんはドンと湯呑をテーブルに置いた。
拒否なんてできる空気じゃないし、言葉をはさむ隙もない。
「そりゃさ、ちょーっと遠回り気味のアピールだったけどぜんっぜん気付く気配がねーの。鈍感にも程があんだろ」
「そう、なんですか」
「そうなんだよ。優しくしてやると嬉しそうにするくせに、そんだけで全然進展の気配がなくてよ」
なんなんだ、なんで私はこんな相談を受けているんだ。
「こうなりゃ強行手段に出るしかねーかと思ったけど、そしたらもっと離れて逃げられそうだからやっぱ止めて」
いつの日かお酒を飲んでいた時よりも饒舌じゃないかと思う速さで、坂田さんは窓の外に視線を向けたまま話す。
「まあ長期戦かなと思ってたけど、そうもいかねーの。ほっといたら持っていかれちまいそうでさ」
「…素敵な人なんですね」
「自分じゃ絶対気付いてないタイプだな、ありゃ」
坂田さんは頬杖をついて空になった湯呑を揺らす。
「坂田さんは、優しいですから。大勢の人に優しくするから、気付かれないのかもしれませんよ」
私なんかにもこんなに優しくしてくれるから、気付かれないんですよ。
「いやいや、それ誤解だから。俺、そんなに優しくねーよ」
「それこそ自分で気付いていないんじゃないですか」
たぶん坂田さんの視線は窓の外からこちらに移っているのだろう。声が近い。
でも、今度は私が視線を合わせられない。
テーブルの下で握り合わせた手が痛い。
「誰にでも、ってわけじゃねーんだけどな」
また少し、声が遠くなる。
「職場まで原チャリぶっとばして送迎したり、差し入れ持ってったり、悩み聞いてみたり」
坂田さんの言う光景が、やたら鮮明に頭に浮かびあがって苦しくなる。
「偶然装って飲みに誘ってみたり、休日デートもどきに誘っても、なんかイマイチ分かってねーみたいでさ」
店内の話声が消えたかのように、坂田さんの声が耳に響く。
「なあ」
顔を上げると同時に視線が合う。
「もっとドストレートに言わないと分かんねーの?これでもすげー恥ずかしいんだけど」
わからない、わからないです。
だってどう頑張っても私の都合のいいようにしか解釈できないから。
声が出ない私から少し視線を逸らし、もう一度その視線を戻す。
「俺が気になってんの、つーか、惚れちまったの、なんだけど」
「こんなとこで泣くんじゃねーぞ」
「わかってます、だから、今はもう」
喋らせないで、言葉と一緒に涙も流れてしまいそうだから。
はいもいいえも、好きも嫌いも言えなかった。
だから今の私にできる精一杯の笑顔を向けたのだけど、どうやらそれは歪んでいたらしい。
それでもちゃんと分かってくれた坂田さんは、私の手を引いて店を出た。
「今から俺の職場っつーか家行って、従業員共に紹介…いや、自慢してやんだから」
ぎゅっと私の手を握って、坂田さんは私の大好きな笑顔で言う。
「笑っててくれ、思い切り自慢させてくれよ」
「…ばかじゃないですか」
それが初めて、銀さんについた悪態だった。
溢れる想いを止めさせない
(言い忘れていたけれど、きっと、私の方が先に惚れてしまっていたのよ。鈍感は、お互い様ね。)
あとがき
3部作、お付き合いありがとうございました。
ちなみに前回銀さんが言ってた優しくない「あいつ」は万事屋2人組のことです。(書き切れなかった)
2014/04/29