「掃除?」

うん、と軍服の袖に腕を通しながら神威団長は返事をした。

その背中にもう一度問いかける。

 

「え、掃除って、神威団長が?」

「そうそう。まあそんなに遠くないし…広くもないからすぐ帰れると思うよ」

服の中に入り込んだ髪を外へ払うように出し、身だしなみを整えていく。

あ、首の後ろの襟曲がってる。

 

「何言ってるんですか、無理無理無理!自分の部屋すら掃除しないのに、他所の掃除とか絶対無理」

「ぶっ殺すよ

「ふいまひぇん」

 

勢いよく振り返って私の頬を抓まんで引き延ばしてくる力は、さすが夜兎、すごく痛い。

それに振り返った時に神威団長の三つ編みが頭にクリーンヒットしたせいで、2発も攻撃をくらった。

くそっ、襟直してあげようかと思ったのに!

もうそのまま行って恥かいてしまえ!

 

 

 

心の中で悪態をつきながら、うまく喋る事のできない口でなんとか謝罪を繰り返し、手を離してもらった。

「いったた…」

「仕事前によけいなことさせないでよ」

理不尽だ、と小さく呟く。

 

「そういうわけで、まあそうだね。3日くらいは留守にするから」

「えっ?」

素直に驚いた。

掃除するのに3日かかるとは。

場所が遠いのだろうか、それともものすごく大きなお屋敷の掃除なのだろうか。

遠くないし広くないとは言っていたけど、神威団長の基準だからなあ。

 

そもそも、春雨って掃除も仕事の内だなんて初耳である。

地球に残して来てしまった、万事屋を営む友人をふと思い出した。

 

 

「阿伏兎はここに残していくから、何かあったら頼るんだよ」

「あ…はい」

そう返事をしたところで、部屋の扉がノックされた。

外から「神威団長、そろそろお時間です」という声が聞こえてくる。

 

「うん。今行く」

それじゃあね、と背を向けた神威団長の首元を見て呼び止めた。

「ちょ、ちょっと待ってください、襟曲がってますから……っと、これで大丈夫です」

曲がった襟を直して、数歩後ろへさがり軽くお辞儀をする。

 

 

「いってらっしゃい、お掃除頑張ってくださいね」

私の言葉に振り返り、数秒後に神威団長は扉へ向かって歩き出し、片手を上げる。

 

「……いってきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸じゃあまり見なれないかたちの扉が閉まった後、部屋は静寂に包まれる。

「ふ、ふふ…」

小さく私の口から笑いが零れる。

3日。神威団長が留守ということは、追い回されたり奇襲をかけられたり、とにかく嫌がらせをされないということ。

 

「ふふふ、平和だ…平和な日がやってくるぞーーー!!!」

そう叫んで、私はガッツポーズをした。

 

 

 

 

 

 

 

その日は早めに仕事を片付け、いつもよりゆっくりお風呂に入った。

 

2日目も平和に一日が過ぎて行った。

神威団長がいない分、私にまわってくる仕事も少なくて早く作業が終わった。

阿伏兎も、たまにはゆっくり休めばいいと言ってくれたおかげで、久しぶりに休日気分を味わうことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして3日目。

目覚まし時計が鳴るよりずっと前に、事件は起こった。

 

 

 

ドオオオンッという轟音と揺れで私は目を覚ます。

誰か柱でも折ったんじゃないかと思うような音に驚き、眠っていた頭が急速に醒めていく。

ベッドから降りて、部屋の電気をつけようとする前に扉が開いて廊下の明かりが差し込んできた。

 

 

急な眩しさに手で影を作り、ゆっくり焦点を合わせていく。

「…阿伏兎…?」

「悪いな、起こしちまってよォ」

普段となんら変わらない口調で阿伏兎はそう言いながら部屋の扉を閉める。

 

「躾のなってねぇ客が来ちまってな、悪いが嬢ちゃんはここに…」

お客が来てどうしてこんな音がするの、と問いかける前に再び似たような音が部屋に響いた。

それどころじゃない、今度は私の部屋の扉が蹴破られたように中へと倒れ込んできたのだ。

 

 

「オイオイ。そいつァノックって言わねーぜ」

「そりゃ悪いなぁ、急いでたからよぉ…奴が戻る前にこっち潰さねーといけねぇからなあっ!」

廊下の明かりに照らされたシルエットは、人間の背丈より随分高いどころか、人間じゃなかった。

 

 

片手に持つ銃を迷いなく阿伏兎へ向けて、引き金を引く。

阿伏兎は傘を開いて弾を防ぐが、背中でガシャーンとかパリーンとかすごい音が響いている。

あれは散弾銃かマシンガン的なものなのだろうか。

 

 

「あわわわわ…私の部屋が!」 

阿伏兎の背中にひっつくようにしながら後ろを少し振り返る。

幾つもの銃弾の痕と、壊れて飛び散ったガラスや木片が床に散らばっている。

あ、目覚まし時計が仕留められてる!

 

 

「な、なんなんですか、神威団長なら留守ですよ!」

阿伏兎の背からそう叫ぶと、天人は引き金を引く手を止めて可笑しそうに笑った。

「知ってて来てるに決まってんだろ。っつーか第七師団に女がいたとはなぁ…」

そう言って阿伏兎を通り越して私に視点を合わせる天人の目は、獲物を見るような冷やかな目だった。

 

「言っとくが、この嬢ちゃんはおめーが思ってるようなのじゃねーぞ」

「あ、阿伏兎?」

私を背に庇うように立つ阿伏兎を見上げる。

 

「けどな、うちの団長が戻った時に嬢ちゃんがいなかったら、俺が殺されるんでな!」

開いていた傘を一瞬にして閉じ、私を部屋の奥へ突き飛ばすのをバネにして天人へと殴りかかる。

がきんっと阿伏兎の傘を銃で受け止める。

さすがは夜兎といったところか、天人は顔を歪めて後ろへと押される。

 

 

「…は、その心配ならいらねぇぜ。てめーらの団長サンは、もう帰ってこねぇだろうからなぁぁ!」

叫ぶのと同時に力を込め、阿伏兎の傘を押し返す。

再び阿伏兎の顔に向かって構えた銃を傘で下から上へと振り払う。

その瞬間、天人は懐からもう一丁銃を取り出し、照準を合わせる。

 

なぜか、私に。

 

反射的に考えるより早く体が動き、撃ち込まれた弾丸を避ける。

転がるように避け、床に手をつく。

よよよ避けれた、避けれたよ私!日々の神威団長からの逃走術がこんな所で役に立つとは!でも嬉しくない!

 

阿伏兎も驚いたような顔を一瞬見せたが、すぐに天人の腕を蹴り上げて照準をずらす。

「よく避けたじゃねぇか、さすがは神威の女ってやつかァ」

「ち、違うって、言ってんでしょ!」

そこだけは否定したくて、息を切らせながら叫ぶ。

 

 

阿伏兎が小さく舌打ちをしてぐっと足に力を入れた瞬間、再び爆発でもしたかのような轟音と揺れが襲った。

足を踏み切るタイミングを外した阿伏兎の隙をついて、天人は再び私に銃を向ける。

まって2発目はさすがに無理!

 

そう思った瞬間、天人の側面からもう一体別の天人が吹き飛んできた。

文字通り飛んできた天人とぶつかり、転がるようにして部屋の前から姿が見えなくなった。

どごっ、という音がしたということは廊下の先にぶつかったのだろう。

 

 

 

「はーあ。わざわざ出向いてやったのに、行き違いだなんて。さすがの俺もイライラMAXだな」

かつ、と靴と床が擦れる音と、男にしては少し高めの声が響く。

 

 

阿伏兎が廊下へ飛び出すのを追うように私も部屋の入口へと向かい、少しだけ顔を出す。

さっき天人が吹き飛んだ方向からは、壁が崩れる音と呻き声のようなものが聞こえた。

「て、めえ…なんでここに…」

「随分と手厚い出迎えにイラっとしたから帰ってきたんだけどね。まさかこっちもだとは」

 

かつかつ、と靴の音が近づき、私の目の前で止まる。

 

 

「やあ。ただいま、予定より早く帰っちゃった」

 

この場に相応しくない明るい声音で、神威団長は笑った。

そしてその笑顔のまま天人に向かって歩みを止めず進む。

 

 

 

「残るはお前だけだよ。お前らのリーダーならさっき片付けたからね」

「な…!」

驚愕に顔を歪めた天人の口に、神威は躊躇いなく傘を突っ込む。

 

「さっさと後を追わせてあげるよ、今なら追いつけるんじゃないかな」

はは、と神威の笑い声のすぐ後、天人が手に持った銃を持ち上げるよりも早く、ぐしゃり、と厭な音が響いた。

 

 

一瞬にして目の前が真っ暗になる。

気を失ったわけではなく、それが阿伏兎の手だということに気付いたのは音が聞こえた後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廊下の先を見せないように、阿伏兎が私を一歩下がらせて部屋に入れてくれる。

「また派手にやってくれたな。どーすんの、修理にどんだけかかると思ってんの」

すっと私の目を塞いでいた阿伏兎の手が離れた時には、神威団長も目の前にいた。

 

「さあ?かかるって、金の話?時間の話?」

「どっちもだ」

阿伏兎はため息を吐いて廊下へ目をやる。

 

 

「にしても、よく生きてたね。てっきりやられてるかと思ったけど」

「嬢ちゃんすごかったぜ、まさか銃弾を避けるたァな」

「へー、それ見たかったな」

「偶然ですから!その、運が良かったんですよきっと!」

服の埃をはらいながら笑う神威団長に、両手を左右に振って否定する。

こんなことで戦闘員に格上げされてしまったらたまったものじゃない。

 

 

そう思っていると、二人の声がぴたりと止まった。

何事かと思って首を傾げると神威団長は、すっと私の手を指差した。

 

、それ痛くないの?」

「それ?」

 

指された掌をくるりと自分の方へ向けてみる。

「っひ!」

真っ赤に染まった自分の掌に、思わず息をのむ。

同時に忘れていた痛みがぴりぴりと疼き始めた。

 

 

「い、痛いです!うっわ忘れてた、いったたたたた!」

「忘れるものなの?それ」

「あー、まああれだけの緊張状態だったしな」

「何を!冷静に分析してるんですか!」

さっき銃弾を避けた時についた床に散らばっていたガラスで切ったのだろう。

両手が染まっているせいで、押さえようにもなんともできない、どうしたらいいのか分からない。

 

 

「んー、ガラスだっけ」

言いながら神威団長は少し考えるように口元に手をやり、思いついたように私の後ろへと回る。

そのまま後ろから覆いかぶさりながら、両手首に親指を添えるように持ち上げる。

 

「ちょ、ちょっと神威団長っ!」

ほとんど密着するかのように左右から回された腕にどきりとした瞬間。

グッと団長の親指が、何かを押し出すように掌へとスライドし、ズキンと激痛が手に走った。

 

 

「いったァァァァ!!!!!!」

「うるさいよ

「何がだ!!!何をしてくれとんのじゃァァァ!!!」

折角止まっていた血が、私の両手からぼたりと床に落ちる。

その痛みで足元がふらつき、神威団長に凭れかかった。

 

「ガラス、残ってたら大変なんでしょ」

「あ、ああそういう…ことならピンセットで抜くとか!他にあるでしょうが!!」

「めんどくさいし、血にもゴミが入ってるかもしれないし、ほら一石二鳥」

見上げた顔はニコニコと笑顔だった。

 

 

「諦めろ嬢ちゃん。コイツがそんな気遣いできるわけねーだろ」

「それはそうだけど!知ってるけど!」

「お前ら殺されたいの?」

冗談です、と阿伏兎と声が揃った。

 

 

「まあいいや。、俺の首に腕まわして」

「え、はぁ!?」

「早くしろ」

有無を言わさぬ低い声に、こくりと頷いて神威団長の首につかまるように腕を回す。

その直後、ぐっと足を掬われて団長の腕に座るような形で体を持ち上げられた。

 

 

「ちょ、な、なにっ」

「ずっと血まみれの手でいるつもり?洗いに行くよ」

言いながら既に歩き出している。この人、片腕で私を持ち上げたのか。

 

「いやあの、足は大丈夫ですし自分で歩きます」

「でも俺が相当壊してきちゃったから、結構危ないよ」

ほらと左腕で指差した先は、壁も床も穴が開いて見るも無残にぼろっぼろになっていた。

自分の戦艦だというのに遠慮の欠片もみられないぼろぼろ具合である。

 

 

 

「…だったら、ちゃんと消毒までしてください」

「消毒?舐めとけばいい?」

「やっぱ自分でやります」

気遣ってくれてはいるのだろうが、どこかひとつ足りないなあと思いながら私は大人しく神威団長に凭れかかっていた。

 

 

 

 

 

危険な主がいる平和









(「あぁそうだ、言い忘れてましたけど、おかえりなさい。それからありがとうございます、団長」「……うん、ただいま」)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

どこに落ち着いたらいいのか分からなくなったのと、団長がどこまで優しくしてくれるのかに悩みました。

2014/05/17