「……!」
「高杉…さん…?」
「」
「なん、ですか?」
「ちょっと用事を思い出したんでな。そろそろ行かなきゃならねー」
第14曲 心配かけて、ごめんなさい
すっと私から一歩はなれて、高杉さんは言う。
…用事があるなら仕方が無いよね。
「そんな顔すんじゃねェよ。…それより、は帰らねぇのか?」
帰る。
…私が、帰る場所は。
「…もう少しここに、います」
「そうか。もう日も暮れる。夜風で体冷やさねーようにしろよ。…じゃあな」
くるり、と私に背を向けて歩き出す高杉さん。
…結局、本当に話聞くだけしかしてくれなかった気がする。
まあ…誰かに話せただけ、いいか。
はあ、と息をついて空を見上げる。
この空は私のいた世界まで繋がっているのだろうか。それとも、途切れているのだろうか。
なんで、急に…こんな不安になっちゃったんだろうなあ…。
心の中でそう呟いて、自分を嘲笑う。
その時、遠くからバイクの音と、銀さんの声が聞こえた。
「…ッ!やっとみつけた…」
ヘルメットを被ったままで乱暴にバイクを道端に停めて、ずんずんと歩いてくる。
「お前、今何時だと思ってんだコラ。夕飯までには帰りなさいって言っただろーが!」
早口でそういう銀さんは、朝見た袴姿ではなくいつもの着物になっていた。
「オイ、聞いてんのか?ったく…こんなとこまで来て、何やってんだよお前は」
カリカリと怒気の含まれる口調で言う銀さんを見据えて、私は、口を開く。
「わかんないよ、銀さんには」
「あ?」
「わかんない、よ。銀さんには、私の悩みなんてわかんない!!」
強く握りしめた手に、爪が食い込む。
「…っ、ああわかんねーよ!言ってくれなきゃ何もわかるわけねーだろ!」
最もだ。言われなくては、分かるはずはない。
なのに今の私はそんな冷静に物事を判断することができなかった。
「私だってわかんないよ!上手く説明ができないの…っ!」
「上手くなくていいから、言うだけ言ってみりゃいーだろ」
「っ……お願い、今は私のことはほっといて…!」
今の私じゃ、何を言うかわからない。
傷つけたくなんかないんだ、酷いことなんて言いたくないんだ。
「ほっとけねーんだよ。あいつらに…お前連れて帰るって言って来ちまったんだからよォ」
めんどくさい、というオーラを漂わせながら視線をそらす銀さん。
わかってる。めんどくさいことはわかってる。
「……怖い、んだよ」
「何が」
「最近、大切なことを、忘れていってるの」
元の世界での出来事を、忘れていってるの。
なんてことは言えるわけも無く、どうやって伝えるかを悩んだ末に出た答えがこれだった。
「んなもん、忘れねーよ。本当に、大切なら」
「それがっ…それが、忘れちゃってるんだよ!!忘れたくなんかないのに!!」
いつもと変わらない調子で言う銀さんに、声を荒げて言う。
「人間なんて、忘れる生き物なんだよ。全部まるごと覚えていられるわけねーっつーの」
「なっ…じゃあ、何ッ!?忘れろっていうの!?昔のことなんて、忘れてもいいって言うの!?」
頭に血が上る。
落ち着け、落ち着け、と心で唱えても声は荒くなるばかり。
「忘れていいなんて言ってねーだろ!」
「言った!!」
「言ってねえっつーの!」
銀さんは声を荒げて叫びながら、私の手首を掴む。
「離してよッ!銀さんには、わかんないっ、思い出そうとしても思い出せない、この、気持ちは…!!」
不安なのか、恐怖なのか、自分でもちゃんとはわからない。
多分、いろいろなものが混ざっているんだろう。
じたばたと暴れる私の手首を離すどころか、さらに力を入れてくる。
そのまま引っ張られて、私の体は思いっきり銀さんに激突した。
やっと離された手首が赤くなっているのを見る余裕もないくらい、強く抱きしめられる。
痛い、痛いよ。
優しくしないでよ。
どうしたらいいか、わからなくなるじゃない。
向こうに、帰りたく、なくなっちゃうじゃない。
「…ゆっくり、落ち着いて、考えてみろ」
ぎゅうぎゅうと潰されるんじゃないかというくらいの強さで私を抱きしめたまま呟く。
「一気に全部思い出そうとするな。ひとつずつ、ゆっくり、記憶をたどればいい」
顔に銀さんの髪が当たる。
「焦るな。落ち着け。そんで、目ェ閉じて、ゆっくり、記憶をたどってみろ」
言われるがまま、私は目を閉じる。
ずっと通っていた、学校の名前、風景。
いつも一緒にいた友達の名前。
家族の、こと。
ああ、私、ちゃんと覚えてるじゃん。
なんで思い出せなかったんだろう。
焦ってたのかな。不安だったのかな。
こっちの世界で生きることは、すごく楽しい。
その反面、向こうではどうなってるんだろうって、不安だったのかもしれない。
心のどこかで、忘れてしまえば楽になれるって、そう思っていたのかもしれない。
でも、本当は忘れてしまいたくなくて、正反対の感情がぶつかり合っていたのかもしれない。
でも、もう、忘れたりしない。
「…落ち着いた、か?」
すっかり黙り込んでしまった私を抱きしめる腕の力を緩めて、言う。
「うん。ごめん、ごめんね、銀さん」
思い返せば、酷いことを言っていた気がする。
それに、こんな時間まで外にいてしまった。
「あの…い、いろいろと、ごめんなさい」
「ったく、納豆女の用事を済ませたと思ったら、今度はお前かよ」
「ごっ、ごめんなさいいい…!」
溜息をついて歩き出す銀さんに、とぼとぼと重い足取りでついていく。
そんな私をちらりと振り返ってみて、銀さんは言った。
「今話せないことは、話せるようになるまで待ってやる。それ以外なら、ちゃんと言えよ」
それだけ言って、前を向く。そして。
「…勝手にいなくなるんじゃねーよ」
「…うん、ごめん……ありがとう、ありがとう銀さん」
帰り道。
銀さんのバイクの後ろに乗って、体を銀さんの背に預けて、また目を閉じた。
いつか本当のことを、私が別世界の人間であることを話したいと思いながら。
きっと、あなたなら、信じて、くれますよね。
あとがき
若干のけんか腰。そしてヒロインの記憶の復活のお話でした。
銀さんにマジで怒られたら結構怖いと思います。
2009/04/07