「大丈夫ですか、さんっ」
「う、うん…新八くんも大丈夫そうで安心したよ…あ!そうだこれ、眼鏡!」
「…ありがとうございます」
「ううん、私にできることなんてこれくらいだから」
「あー…その、眼鏡もですけど、さっきの、嬉しかったです」
第6曲 護り護られるもの
ほんの少し顔を赤らめて、眼鏡をかけ直し新八くんは再び庭へ走り出した。
ここで一気にカタをつけるのであろう、新八くんと九兵衛さんの木刀の切っ先がぶつかり合う。
僅かな力の差で新八くんの木刀が弾かれる。
ぐっと姿勢を低くして木刀を構える九兵衛さんに向かって投げられた得物がそれを弾き飛ばす。
銀さんが九兵衛さんに、敏木斎さんが新八くんに向かって投げた木刀はぶつかり合って宙を舞う。
2本のそれを空中で手にしたのは、銀さんと九兵衛さん。
その勢いのまま敏木斎さんへ木刀を向ける銀さんの皿へ九兵衛さんの狙いが定まる。
しかしそれを見越していたかのように、銀さんはサッと体勢を変えて木刀の持ち手の方で九兵衛さんのお皿を破壊した。
ぱりん、と切ない音を立てて砕け散った皿に気を取られている間に銀さんの上へ敏木斎さんがのしかかる。
そのまま庭先の灯篭に、銀さんの身体が打ちつけられ胸元に巻かれたお皿は粉々になる。
その手には、さっきまで握られていたはずの木刀が見当たらない。
立ち上る砂埃を振り返った敏木斎さん。
その、一瞬の隙。
ヒビの入った灯篭越しに、銀さんが持っていた木刀を構えた新八くんの一突きが、敏木斎さんの皿を貫いた。
パリィィン、と甲高い音と共に砕け散る、柳生側の大将の皿。
「…ゴメン。負けちった」
一瞬、柳生家の人たちとこちら側の人たちの動きがぴたりと止まる。
耳に入った敏木斎さんの声は脳へ伝わり、その内容を理解した時だった。
「か、勝ったァァァァ!!!!」
わあっと近藤さんや神楽ちゃんたちが声を上げる。
「新八ぃぃぃ!あんま調子に乗んじゃねーぞコルァ!ほとんど銀ちゃんのおかげだろーが!」
「ぶふォ」
ドゴッと神楽ちゃんの勝利の抱擁ならぬ、勝利の蹴りが新八くんの顔にクリーンヒットした。
「まさか若様と敏木斎様が…」
ざわざわと柳生家の門下生の人たちが信じられないと言うように声を零す。
「何をやっているか!あんな勝負はハナっから関係ないの!いいからさっさと賊どもを成敗しちゃいなさい!」
奥から出てきた背の低い男の人が声を張り上げる。
「輿矩、もういい加減にせい」
さっきまですぐ近くで倒れていた敏木斎さんは、着物の砂埃をはらって九兵衛さんのお父さんに歩み寄る。
「わしらの負けじゃ。退け、これは九兵衛が自ら約束したこと。おとなしく妙ちゃんを返せ」
「パパ上!元から私は女同士の結婚なぞ反対ですぞ!確かに男になれとは言ったがまさかそんなところまで…」
「もう何も言うな」
輿矩さんの言葉を遮り、敏木斎さんは未だ倒れたまま空を見上げる九兵衛さんに目を向けた。
「すまんのう、九兵衛。じゃがこれでよかったのかもしれんな…」
視線を落として立ちつくすお妙さんに銀さんは独り言をつぶやくようにして言う。
「…男だ女だ責めるつもりはねーよ。だがアイツはしってたはずだ、お前がどんなつもりで左目になろうとしてたか」
声は聞こえているのだろうか、九兵衛さんは空を見上げたままぴくりとも動かない。
「お前はしってたはずだ、そんなもん背負ってアイツの所へ行ったところで何も解決できねーことくらい」
ぎゅっと前で組んだ手に力を込めるお妙さん。
「お前らはしってたはずだ、こんなことしても誰も幸せになれねェことくらい」
そう。きっと私たちが口出ししなくても、わかっていたんだ。誰よりも、わかっていたんだろう。
「…ごめんなさい」
「謝る必要なんてねーよ、誰も。みんな自分の護りたいもの護ろうとしただけ」
そう言って私の頭をぽんと一撫でして、銀さんは新八くんたちの方へ歩みを進める。
「……それだけだ」
「…あの男のいう通りだ。僕はみんなしっていた。勝手なマネをして君に重い枷をつけ君の思いを見て見ぬフリをした」
銀さんの姿が遠くなってから、九兵衛さんがそう言葉を続けた。
「それでも君は僕を護ろうとしていたね。僕の左目になるって」
ざり、とお妙さんの草履と地面に転がる小石が音を立てる。
「父上やおじい様が僕を護らんとして男として育てたこともしってる」
すっと九兵衛さんを見下ろすように、お妙さんは彼女の隣で立ち止まった。
「でもどこかで恨んでた、僕を男でも女でもない存在にしたこと。僕がこうなったのは自分自身の弱さのせいなのに」
「それでもみんな、僕を最後まで護ろうとしてくれた」
屋敷の方では門下生の人たち、そして輿矩さんと敏木斎さんが九兵衛さんの言葉に耳を傾ける。
「結局僕は…護られてばかりで前と何も変わらない、約束なんて…なんにも果たせちゃいなかったんだ」
少し小さくなった声でも、この場にはよく響く。
「僕は、弱い」
お妙さんはそっと九兵衛さんの隣に腰をおろし、そっと頭を膝に乗せる。
「…なんでこんなふうになっちゃったんだろ、僕も…ホントはみんなと一緒にままごとやあやとりしたかった」
ぽつり。
「みんなみたいにキレイな着物で町を歩きたかった」
ぽつりと心の声が零れ出る。
「妙ちゃんみたいに…強くて優しい女の子になりたかった」
それは涙と共に零れ落ちた、九兵衛さんの本音だった。
「…九ちゃんは九ちゃんよ、男も女も関係ない、私の大切な親友」
そっと九兵衛さんの髪を撫でながらお妙さんは優しく呟く。
「だから…泣かないで、それでほォお侍はん……」
ぽたりと零れた涙が九兵衛さんの頬を伝わって流れ落ちる。
「妙ちゃん……めんなさい、ごめんなさい、でも今日くらい泣いたっていいよね」
ぎゅっと九兵衛さんはお妙さんの首に抱きつく。
「女の子だもの」
ひとしきり涙を流し、しゃくり上げる九兵衛さんの背中をそっと撫でるお妙さん。
「…あ、あの…」
すとん、とその横にしゃがみ込んで視線を合わせる。
「キレイな着物着ることも、あやとりも、今からでも遅くないと思うの」
「ちゃん…」
「それにね、私も着物ってあんまり着たことないっていうか、一人で着れないっていうか…」
きゅっと制服のスカートの裾を引っ張って小さく深呼吸する。
「だから、今から一緒に色々経験してみませんか」
「…でも、僕はきみたちに酷いことを…」
「ううん、もういいの。喧嘩した後は、仲直りだよ」
そっと九兵衛さんの手を握る。
やっぱりそれは男の人とは違う、優しい手。
「…友達に、なってくれませんか」
精一杯の勇気を出して言った言葉で、またしても九兵衛さんを泣かせてしまったけれど。
こくんと頷いて笑ってくれた顔を、私は絶対に忘れたくないと思った。
あとがき
柳生編はこれにて終了。お付き合いありがとうございました。
2012/08/04