First catch your rabbit
(then cook her)
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「なーんにもない日曜日って、やっぱりいいよねえ」
別に誰かに言った訳じゃない、昼下がりの穏やかな日差しが差し込む部屋には私しかいないのだから。
ここのところ毎週のように用事が入っていて、貴重な日曜が潰れる週末が続いていた。
「休日はこうでなくっちゃね」
よしよし、と私はご機嫌で発売されたばかりの文庫を手に、ベッドにごろりと横になろうとして―――
「…ん?…電話?」
机の上で鳴り出した携帯電話に渋々手を伸ばした。
「もしもし?」
『やあ、。今何してるの?』
「んー?これから本でも読もうかなってベッドに転がるところ」
どうかしたの?と尋ねると、電話の向こうで神威君が朗らかに笑う。
『随分余裕なんだね。てっきり今頃必死になってレポートやってるかと思ったんだけど』
「………は?…レポート?」
『うん。だからさ、それで聞きたいことがあって、』
「ちょ、ちょっと待って!レポートって何?!もしかして明日のゼミの課題?!」
呑気な『そうだよ』という声に顔から血の気が引いた。
オーバーな表現と思わないでほしい。
彼と私が所属するゼミは、数ある大学内のゼミの中でも【鬼ゼミ】と渾名されるほど厳しいことで有名なのだ。
『あり?聞いてないの?』という彼に、見えないだろうが私は首を激しく縦に振った。
「聞いてない!聞いてない!!何それ?先週の話?」
『そう……あ、そうか。、先週は風邪で休みだったんだもんね』
「そうだよー!何で誰も教えてくれないの?!」
これは別に電話の相手に言った訳じゃなくて、ほぼ独り言の絶叫だ。
だけど神威君は電話の向こうからご丁寧に、『ごめんね』と謝ってくれた。
『あのさ、良かったら俺のレポート見る?』
まだ全部できてないけどと言う声にかぶせるようにして、
やっぱり見えないだろうけれど、私は力一杯「お願いします!」と頭を下げたのだった。
「…お邪魔しまーす」
「どうぞ。何もない殺風景な部屋だけど、一応掃除はしてあるよ」
うん、と頷きながら狭い玄関に靴を脱ぐ。
「寮って言うから古い木造建築で風呂トイレ共同で食堂があって、みたいなのを想像してたけど…」
「それ昔の映画とかの見過ぎじゃないの?」
私の台詞にクスクス笑って、彼は壁際のベッドに腰を下ろした。
留学生の神威君は大学の寮で暮らしている。
もっとも、寮といっても普通のワンルームのアパートと変わらないようで、
狭いながらもキッチンもバスルームも全て一通り部屋の中に揃っているようだ。
「このアパートを大学が借り上げているんだよ」
と私の思考を見透かしたように彼が言った。
「さてと。コーヒーでも淹れるよ。はそこに座ってて」
ポンと軽く膝を打ってから立ち上がる彼について、私も小さなキッチンに立つ。
「私も手伝う…というか、私が淹れるよ」
何しろ今日はレポートでお世話になるのだから、黙って座って待っている訳にもいかないだろう。
そう言うと神威君はにこりと笑って頷いた。
「じゃあ、そうしてもらっちゃおうかな」
食器はそこ、コーヒーはその棚、と教えてもらって私は準備に取りかかった。
意外にもインスタントじゃなく、簡易的ではあるけれどコーヒーメーカーが置いてある。
ぽこぽこと良い香りを漂わせてコーヒーが落ちる間に、お礼として買ってきたケーキも用意して
数分後には部屋の真ん中にある小さなテーブルの上に、二人分のケーキセットが並んだ。
「勝手にお皿借りちゃったけど」
「…うん、いいね、こういうの」
「? 神威君って甘い物好きなの?」
最近の男子はスイーツ好きも多いと聞く。
彼もそんな一人なのかと思いつつ、ケーキを載せたフォークを口に運び。
「いや、何か恋人同士みたいだなと思ってさ」
「―――ごほっ」
「、大丈夫?ほら、コーヒー飲んで」
「うっ…うん……大丈夫…」
思わぬ単語に思わずむせてしまった。
『恋人』なんて言葉が彼の口から出て来るとは…。
不思議な桜色の髪に、透きとおるような白い肌と真っ青な瞳の整った顔立ち。
それだけでも目立つのに、いつもにこやかな彼が実は少林寺拳法の達人とくれば、もちろん女子が放っておかない。
ゼミが同じというだけで何度睨まれたことか、何度「彼を呼んできて」、「これを彼に渡して」とパシリにされたことか。
けれど当の本人は、私の知る限り全く誰も相手にしなかった。
だからてっきり恋愛事には関心がないのか、もしかすると女より男の方に関心があるんじゃ…とまで思っていたのだけれど。
その彼が、「恋人同士」だなんて…。
ん?と首を傾げる彼に、私は慌てて薄ら笑いを返してみせた。
「ううん、何でもない。あの…それじゃあ早速レポート見せてもらっていい?」
「どうぞ。結構な量なんだけど」
「……これ、さすがに丸写しじゃマズイよね」
ズッシリと重量級の紙の束をパラパラとめくりながら言うと、「マズイよね」と反復の答えが返ってくる。
「今どき手書きでレポート提出もどうなのと思ってたけど」
「データじゃ簡単にコピーできちゃうからね」
「春雨先生、悪知恵働きそうだもんね…」
私は念のために自宅から持ってきた参考資料や本を鞄から取り出し、
諦めておとなしく彼のレポートを真似しつつ自分仕様に書き換える作業を始めたのだったが…。
「ねえ、これは何?」
「それは千歯こき。お米や麦の穂を取るの」
「ホ?」
「実のことだよ。ほら、つぶつぶした実がついてるでしょ?」
「ああ、なるほどね。じゃあ、これは何て読むの?」
「ええとね、それはトウミ」
「へえ。俺の国では風扇車って書くんだけどな」
「だから唐の字がついてるんじゃない?」
「あ、そっか。は頭いいなあ」
にっこり笑いかけられて、溜息をつく訳にもいかず私は何度目になるか分からない愛想笑いを返した。
こんな調子でさっきから話しかけられて、お陰で作業はなかなか進まない。
私たちの所属するゼミは比較文化論というものをやっていて、彼は母国と日本の食文化をテーマにしているのだが
我が国の昔の生活については、まだまだ詳しくない。
おまけにこの部屋ときたら文明の利器の最たるインターネットもないらしい。
だから、こうしてあれこれ聞いてくるのも仕方ないのだけれど。
「ねえ、錦絵って何?」
どこで聞いたか忘れたが、誰しも子供の頃に、何でも「これはなに?」と聞く時期があるという話を思い出してしまった。
「錦絵っていうのはね、木版画」
しかしレポートを見せてもらっている手前、無下にもできない。
「版画は分かるよね?木の板で作るから木版画」
それでも多少は「私は忙しいのです」ということをアピールしなければと思い、顔も上げずに私は答えた。
「じゃあ、浮世絵とどう違うの?」
「錦絵は版画だけだけど、浮世絵は筆で描いたものもあるんだよ。どっちも当時の流行を描いた風俗画だけどね」
「フーン…。じゃあ春画って何?」
「………はい?」
何だかいけない響きの単語が聞こえて、思わず顔を上げてしまった。
「ほら、前々回のゼミ発表で阿伏兎が怒られてたじゃん。そんなものテーマにするなって」
ね?と無邪気な笑顔に、私はまたも曖昧な笑みを浮かべた。
「ねえ、春画って何?」
「……な…何だろうね?私もよく分かんないや」
「でもさ、そこ」
彼の右手の人差指が、私の座る脇に向けられる。
ん?と見た場所には私が持ってきた本が積み上がっており、下から二番目の背表紙には『春画に見る庶民生活』の文字が…
「え、いや、ああああのね!こっこれは…間違えて持って来ちゃった本で、…って、ちょッ、ああ!ダメだってば!」
私が抑える前に、神威君の手が素早くその本を抜き取ってゆく。
「へー…こういう事か」
ベッド端に座り、パラパラとページをめくる彼の青い目が楽しげに細められた。
「なかなか過激じゃん」
「あ、あくまで、しっ資料だから!べべ別に、何か変な目的で買った訳じゃないんだからね!」
「ハイハイ。そういう事にしといてあげるよ」
「しといてあげるんじゃなくて!そういうことなの!!もう分かったからいいでしょ?返して!」
けれど、私が伸ばした手をかすめるようにして、神威君の手が更に本を上へと持っていく。
二度三度それを繰り返してから、彼は面白そうに笑った。
「コラ!返しなさい!」
「返してほしかったら俺から取り上げてみれば?ま、の運動神経でできるならの話だけど」
「言ったわね…!」
ニヤリと笑う目を睨みつけ、私は狙いを定めて飛びかかり―――。
「何ならこの本、実践してみる?」
あっさりかわされてベッドに倒れ込んだ私を、上から見下ろす青い瞳がまた楽しそうに細くなった。
「…………え?…えっ?!」
「運動神経ないくせに無謀なことするから」
いつの間にか頭の上で押さえられた両手は、動かそうと思ってもびくともしない。
「ちょ…ちょっと…ね、あの、神威君?な…何するつもり?」
「今言ったでしょ?春画実践って」
少しずつ体にかかってくる重さに呼吸が苦しくなる。
「や…ちょっ……まさか本気じゃないよね?違うよね?」
「…」
だんだん近づいてくる顔に私は思わずぎゅっと目を瞑った。
「いや、まッ、待って!待ってよ!待ってくれないと悲鳴上げちゃうよ?!ここ寮でしょ?!それでもいいの?!叫んじゃうよ私!!」
「―――…プッ。……アハハハハ!もう充分叫んでるじゃん」
「…へ?」
軽くなった体と自由になった手にゆっくり目を開けると、何事もなかったようにベッド端に座った神威君がお腹を抱えて笑っていた。
「待ってくれないと悲鳴上げちゃうよ?だって。ホント面白いなァ」
「………か…からかったわね?!酷いよ!」
「ごめんごめん。そんなに怒らないでよ。それより腹減らない?」
頬を膨らませる私に、彼は時計を指差した。
「あ…もうこんな時間なんだ」
全然時間なんて気にしていなかったが、窓の外の陽は既になくなりかけていた。
それにしても、これでもまだレポートの出来は半分程度なのだ。
全部を仕上げるためには食事の時間も惜しいのが本音だけど。
「は料理できるんだっけ?何か作れる?…あ、でも……やっぱり弁当でも買ってきた方がいいか…」
なんて最後は独り言みたいに呟かれれば、「作れますけど?」と言いたくもなるというものだ。
「何か食べたいものある?」
「餃子」
「え…餃子?」
「手作り餃子。それとチャーハン食べたいな。作れる?」
―――よりによって、また面倒臭いチョイスを…。
けれど、今更「そのメニューならラーメン屋でも行くか」とも言えないし、何より彼にはレポートを見せてもらっているという恩がある。
幸いスーパーはすぐ近くにあるようだし、終電は確か12時だったはずだから急げば何とかなるだろう。
「よし!」と気合を入れて、私は小さなテーブルから立ち上がった。
「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
「とっても美味しかったよ」
予想外にね、といらない一言を付け加えた神威君は、すっかり空になった食器たちを手にすると立ち上がる。
「は続きやってていいよ。俺が片付けるから」
「うん。ありがと」
何もなくなったテーブルに再びレポートを広げて、小さなキッチンに立つ背中が何となく目に入り、ふと思った。
どうして彼は恋人を作らないのだろうと。
「誰かの手料理なんて久し振りに食べた」と言っていた。
彼に料理を作ってあげたい人など、それこそ山のようにいるだろうに……。
彼を呼んできてと言われるたび、彼にこれを渡してと頼まれるたびに、本当は少しだけ胸の奥がきゅっとする。
でも、私は同じゼミの仲間でいい。
友達のままで、一番近いところにいたい。
この距離を壊したくない―――。
そんな風に理屈をつけても、結局は臆病なだけの自分に小さな溜息を一つついて、私は再びテーブルに向かった。
「でさ、この絵図なんだけど」
「んーと、それなら大学の図書館にもあるんじゃないかな」
「ホント?良かった。じゃあ明日でも間に合うね」
再開はしたものの、相変わらずの質問攻め。
けれどそんな中でも頑張った甲斐あって、何とか終わりが見えてきた。
壁の時計は11時を回ったところだから、この分なら何とか終電には間に合うだろう。
あとひとふんばり、と気合を入れ直し私はレポート用紙を睨みつけた……。
「ねえ、」
「なーに?」
時間は11時半。あと一項目。
ここから駅までは走れば五分もかからないだろうから大丈夫。
「この古文書の訳ってある?」
「ん、と、ハイこれ」
「サンキュ」
暫しカリカリと紙をなぞる二人のペンの音だけが聞こえてくる。
あと一行、これさえ書けば終わりだ。
灰色のラインが引かれた用紙の先頭へとペン先を置いた時、また神威君が「ねえ、」と私を呼んだ。
「レポートできそう?」
「うん。もう終わるよ」
「そっか。じゃあ、最後にもう一つだけ聞いていいかな?」
なに?と言いつつ、最後の「。」を書き終えた。
壁の時計は11時45分。
これで片付けて、ダッシュでここを出れば12時には間に合うはず―――…
「ってさ、誰が好きなの?」
え、と顔を上げると、テーブルを挟んだ向こうで神威君はいつもの笑顔を浮かべていた。
「だ…誰って…?」
「ゼミにも学科にも仲の良いヤツ色々いるじゃん。河上、沖田、桂、阿伏兎、土方、高杉、山崎、坂田…中村とも結構喋ってるよね」
「みんな友達だよ。普通に友達として好きだけど…」
「じゃあ、好きな人はいないんだ?」
変わらぬ笑顔に思わず、うっと詰まってしまった。
「いるの?」
「……ハハハ…ど…どうだろうなあ?」
「その様子だといるんだね?」
「え?いや、い、…いるとは言ってないでしょ」
「いないとも言わないね」
「まあどっちだっていいじゃない、そんなこと。それより私もう行かないと終電が、」
「行っちゃったよ」
「―――は?」
「言ってなかったっけ?あの時計、五分遅れてるんだ」
「………………え……」
―――壁の時計は、11時56分を差していた。
「あの……じゃあ、つまり私…」
「さてと。これで質問する時間はたっぷりあるね」
にっこり笑う彼の顔がほんの少し黒く見えたのは、私の気のせいだと思いたい。
「もう一度聞くけど、お前の好きな人は誰?」
心なしか上から目線になったのも、きっと気のせいだろう。
「素直に白状しないと実践しちゃうぞ」
笑顔の横に掲げられたのは、例のあの本だった。
「ねえ、神威君」
「なに?」
「たまには私からも質問していい?」
「いいよ。なーに?」
「―――もしかして、全部仕組んだ?」
「さあ、どうだろうな?」
崩れない笑顔が、かえって肯定しているようなものだろう。
「じゃあ、もう一つ聞いていい?」
「何かな?」
「白状してもしなくても、それ実践するつもりなんじゃない?」
「だったらまた叫んじゃう?」
「ううん、やめとく。近所迷惑だから」
「そう」
それは良かった、と青い目が笑った。
まさか彼がこんなに策士だとは思わなかったが。
「外泊した理由、一緒に考えてくれる?」
「もちろん。できればこれから先も使える理由がいいね」
「そういうこと考えるのは得意そうだもんね、神威君」
酷いなァとは言うけれど、策士の彼なら大丈夫だろう。
私が壊したくなかった距離は、近くて、でも絶対にそれ以上は近寄れない、多分このテーブルの幅ほどだ。
だけど、その距離を壊して彼の右手が私の前に差し出された。
「これからは公私共々よろしくね、」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
分厚いレポートの乗ったテーブルの上で、私は神威君の手をしっかりと握って笑った。
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2周年記念でリクエスト頂いた、【学生版:寮生の神威君に邪魔されつつも一緒にレポートをやろう!】でした(^^)
ラストはお任せでとのことでしたので、案の定と言いますか予想通りと言いますか、終電に乗り遅れる方向でいかせて頂きましたグフフ…。
それにしても長ったらしくなってしまってすいまっせん。もっと上手に短くまとめるにはどうしたら良いんですか師匠(←
あ。タイトルは英語のことわざをもじってあります。この場合そのまんまの意味でお読み頂ければと(笑)
あっという間の2年でしたがこれからも更に萌えていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします!
リクエストありがとうございましたー!!
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素敵小説ありがとうございました!お世話になっているミズホさん宅のリクエスト企画にリクエストさせて頂いたお話です。
この!素敵なサディスト紳士!!優しくないようで優しい神威にドッキドキです!
基本リクエストをさせて頂く時は、自分が書けないようなお話を書いてもらおうと思って御頼みするのですが…
超ガッツポーズしました。私じゃこんな素敵なキュンキュン小説書けませんからね!
ゼミメンバー及びお友達が超豪華だったり、ヒロインが8割方私とシンクロしていたりとドキドキの連続でした。
とりあえず私は、餃子作る練習からスタートしようと思います。そして卒論手伝ってください。←
素敵な小説、ありがとうございました!こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします!