Walhalla




そいつが俺たちの陣にやって来たのは、厳しい冬も終わりかけたある日の午後だった。
女ばかりが5人ほど、救護班として本部から送られてきたのだという。
俺たちの陣はいわば最前線にあたる位置で、そこに派遣されるような奴らはほぼ志願者のはずだが、
そんな中では少し浮いた存在に見えた。

志願してくる救護班ともなれば、元気よく動き回り、てきぱきと仕事をこなすような、大抵はその使命感に燃えた奴が多い。
けれどあいつはいつも大人しく、あまり口も開かなければ笑うこともないような、どこか陰気な女だった。
ただ、愛想もないが押しに弱い性格なのか、言われれば何でも「分かりました」と言う事をきくので
他の救護班の連中はもちろん、陣中の奴らにも何かと都合の良いように使われている、そんな印象だった。



その日は朝から小雨が降る嫌な色の空で、それに比例するように戦況も芳しくなかった。
一進一退を繰り返した挙句、結局日が落ちる頃に分が悪くなっていたのは俺たちの方で
陣が敷かれている寺に引き上げて来てからも俺はかなり不機嫌だった。
反幕合同軍といえば聞こえはいいが、それはただの寄せ集めとも言い換えられる。
俺は鬼兵隊単独で戦いたかったが、昔馴染みのよしみもあってその陣に参加しているという状況に余計苛々していた。

合同軍とはいえ何となく元々の軍ごとに分かれるような形で、各々部屋を取ったり休息場所を設けたりしているため
救護班もそれぞれの担当が自然と決まってきている。
だが、今日静かに扉を開けたのはいつもの女ではなく、だった。

ジロリと睨んだ俺に少し怯えたような表情で、それでも奴は「失礼します」と一礼して入って来た。
大方俺の機嫌が悪いのを見て、いつもの女が代わりにこいつを寄こしたに違いない。
相変わらず人の言いなりかよと嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったが、
それで更に怯えられたりビクつかれでもしたら、余計にこっちがイラつくだけだろう。
箱から救護道具を取り出し始めた彼女に背を向けて、俺は部屋を後にした。



すっかり闇夜となった外の空気は存外冷たくて、それでも雨は上がったような気配に裏庭へ足を向ける。
庭と言ってもすっかり荒れてただの雑木林にしか見えないが、少し奥に進むと背後の山から流れてくる細い小川があった。
その脇に立ち、ぼんやりと空を見上げることが、いつの間にか時々の習慣になっている。
今もそうして黒く濁った空を見ていると、わずかに背中に人の気配を感じ、俺は静かに木立の陰へと移動した。
時勢が時勢だけに、いつどこから敵が侵入してくるかも分からない。
こちらの気配を消し、少しずつ近づいてくる人影を待っていると、闇に慣れた目にそのうち見覚えのあるシルエットが現れた。

箱のようなものを手にしてキョロキョロと何かを探すように辺りを見回している仕草に、間者ではないかという疑念が浮かぶ。
一人浮いたように見えた存在も、誰とも馴染まない素振りも、そう思えば辻褄は合うのだ。

さっきまで俺がいた小川のほとりに立ち、小さく一つ息をついた瞬間を狙って、俺は彼女の背後に立った。

「こんな所で何してる?」
「ひッ?!」

驚いた拍子に彼女が落としたのは、青地に白線の引かれた救急箱だった。

「そ…総督、さん」
「そんな物を持って来て、ここで何するつもりだ?その箱の中身は何だ?」
「こ、これは、え、と、ただの救急箱で…」
屈んだ彼女がパチリと蓋を開けると、確かに中にはいつも見るような道具が並んでいる。
それで、と言いながら、意外にもは鋭く睨む俺に下から真っ直ぐな視線を向けた。

「私、総督さんを探してました」
「俺を?」
「はい。お手当しようと思ったら、お姿が見えなかったので」
「手当だと?」
「隊の方が、総督さんもお顔に少し怪我をされたはずだと…」
「ああ…これか…」

今日の戦闘中、相手の切っ先が僅かに掠めていったせいで、不覚にも頬に細く糸のような傷ができている。
薄暗闇でそれを確認した彼女は、開けた箱の中から何かを取り出し始めた。

「オイ、手当なんざいらねーぞ。こんなモン、ただのかすり傷だ」
「でも…」
「こんな程度でいちいち手当されんのも鬱陶しいんだよ」
「でも、」
「いらねーって言ってんだろ。それよりお前はもう戻れ」
「………でも…やっぱり、あの、」
「でもでもウルセーんだよ!さっさと戻りやがれ!」
「ごっ、ごめんなさい…!で、でも、も、もしもって事もありますし、あの、せめて消毒だけでも、」

こいつ、言いなりな女じゃなかったのか?
しつこく食い下がる姿に苛立ちは増したが、苦い表情を浮かべながらそれでも消毒液を取り出すと、女は俺に向かって頭を下げた。

「これだけ、させて下さい」
「……チッ。…ったく何なんだ、テメーは」
「だって、もし傷口が化膿してしまったら大変ですし、それに…」
「それに、何だ?」
「…もし総督さんが戦えなくなってしまったら、困る人も沢山いますから」
「フン、何かと思えばそういう事か。言っておくがなァ、俺はテメーら守るために戦ってるんじゃねェ」
「分かってます、守ってもらおうなんて思ってません。そういう意味じゃなくて…」
「じゃあどういう意味なんだ?俺が戦えなくなりゃ鬼兵隊もこの陣も潰れるかもしれねー、ひいてはテメーもって事だろうが」

これ以上俺を苛つかせるなと思いながら睨む向こうで、けれど彼女は消毒瓶を握りしめた手を力なく下ろし、
ゆっくりと首を振って言った。

「守ってもらうんじゃなくて、一緒に戦いたいからです」

彼女が吐き出す小さな溜息に合わせたように、そろそろ春も本番にしては冷たい風が俺たちの間をひと吹きしてゆく。

「私なんかじゃ戦場に出ても足手まといです。でも、私も仇は取りたいから」
「仇…?」
「みんな、いなくなりました。家族も、友達も、みんな」

私を残して、と呟くような彼女の言葉に脳裏を掠めていったのは、俺を残して逝ってしまった優しい眼差しの恩師だった。

「だからせめて、戦場に出て戦う方の手当だけでもって思って…それで…」
「………だったら早くしろ」
え?と首を捻った彼女の横にドカリと腰を下ろす。
「さっさとやれって言ってんだよ」
「…あ、……はいっ」

慌てたように消毒瓶を持ち直し、それから彼女は「ありがとうございます」と言った。
「礼を言われる覚えはねー」
「そうかもしれませんけど…でも…」
「いちいち『でも』って言うんじゃねーよ、鬱陶しい」
「すみません…」

ヒヤリとした感触が頬を流れてすぐ後に、小さな痛みがまた流れる。
終わりましたと言ってから、何かに気付いたように彼女は、「あ」と呟いた。

「どうした?」
「いえ、あの…川の水が光ってるなと思って」
「は?」
「月、出たみたいです」

救急箱から離れた手はそのまま俺たちの真上に向けられて、更にその遥か上には金色の月が丸く輝いており。
そうしてその満月から再び視線を下ろしたところで、彼女は少し微笑んでいた。

という女は、そういう女なんだと、初めて分かった気がした。





あの夜以来、俺たちは時々話をするようになった。
あの小川のほとりで、他愛もない会話をぽつりぽつりと、ほんの短い間だけ。
それでもいつしか「総督さん」は「晋助さん」になり、俺は彼女を「」と呼ぶようになった。
だからと言って二人の間に甘ったるい空気が流れる訳でもなかったし、相変わらず表情には乏しい女だったが、
時折、不意に見せる控え目な笑顔で、殺伐とした日常が少しは救われていたのも事実だ。

そんな戦も膠着状態の続く日々の中で、彼女の存在もそれなりに馴染んできたように見えた、ある日。

戦場から戻るとすぐに、今後の策を練るとかで桂たちから広間に呼び出されたが、
色々話し合いを進めている間中、の姿が一度も見えない事に気が付いた。
いつもなら救護班は皆が集まる広間にいることが多い。
ましてやそろそろ夜も更けた頃ならば、どこか手当に行っていたとしてももう戻って来て良い時間だろう。

「そろそろ切り上げるか」という銀時の言葉でその場を離れ、手近にいた救護班の女に彼女の所在を尋ねても知らないと言う。
首を捻りながら歩く薄暗い廊下で、すれ違った男の舌打ちが聞こえた。

「…たく、どこに逃げやがったんだ?あの女」
「―――オイ、ちょっと待て」
「んあ?…ああ、鬼兵隊の」
「アンタ、今、あの女って言ったよな?誰のことだ?」
そう言うと、なぜか男の顔に卑下た笑いが浮かび上がる。
「ワリィ、アンタがもう手ェ付けてんのは知ってたんだがよ、何せ数に限りがあんだろ?チョイと借りようかと思ってさ」
「何の話だ…?」
「オイオイ、そんな野暮は言いっこなしだぜ。それともアレか、まさか嫉妬ってヤツかい?―――ぐ、えッ!く、苦し、」
「何の話だと聞いているんだ」
所々が剥げかけた白壁に体ごと押し付けて締め上げると、男の両手が虚空を掴む。
「お、オレたちの相手だよ…!ここに寄越される女たちは、そういう役目もあるって…だから、」
「だからテメーはを、」
「やっ、やってねェ!オレは何もしちゃいねェって!裏庭に呼び出したが、手ェ出す前に逃げられたんだ!本当だって!」
「…チッ!」
クズ野郎とだけ吐き捨てるように言って、俺は裏庭へと走った。

どうかまだそこにいてくれと願いながら。
この陣を飛び出して、天人の餌食になどならないでくれと思いながら。

いつの間にか降り出した雨のせいなのか、暗い雑木林はまるで闇が不気味に口を開けているように見える。
その口に飲み込まれてゆく彼女の背中が見えたような気がして、
ぬかるむ足元も構わずに林に分け入り名前を呼んだが、どれだけ耳をすませても返ってくるのは雨音ばかりだった。
髪や肩を濡らす水滴がじわりと皮膚に浸み込むたびに、嫌な予感と凄惨な映像が頭を過ったが
それでも名前を呼び続け、気が付けばあの小川のほとりまで辿り着いていた。

ここまで来ても姿が見えないという事は、本当にこの陣営から出てしまった可能性が高い。
銀時たちに話して協力してもらうか、それとも単独でこのまま探しに行くか―――。

「くそ…ッ」

握りしめた拳を大木の幹に叩きつけた時。

突然そこに現れたかのように、が小川を挟んだ向こうに立っていた。

「………お前…」

濡れそぼった髪が青白い顔に張り付き、虚ろな落ちくぼんだ目はまるで幽霊のような…
いや、もしかしたら本当にもう魂だけになってしまったのか。

ともう一度呼ぶと、彼女は雨音に消えてしまいそうな小さな声で
「殺して下さい」
と言った。


「死のうと思ったんですけど…なかなか難しくて……。駄目ですね、私…」
意気地なしで、とまるで場違いに彼女は初めてにっこりと笑った。

「だからね、晋助さん。私を殺して下さい。晋助さんなら一太刀で斬ってくれますよね」

「お前、何言って…。まさか、あの野郎に…」
何もしていないと言っていたが当てになる話でもない。
けれど彼女は緩く首を振ると、また笑った。

「知ってたんです、ここの救護班にはそういう役目もあるんだって。だから本当は逃げたりしちゃいけなかった。
でも、どうしても怖くて…。―――あの時も、そうでした」
「…あの時?」
「天人が私の村に現れた、あの時。たまたま地下の貯蔵室に食料を取りに行っていた私だけが助かりました。
怖くて怖くて、上で叫び声が聞こえても扉を開ける勇気もなかった。
物音がしなくなって、それでやっと地下から出てみたら、何もかもなくなっていました。誰も生きていなかった…」
それはと言いかけた俺を制するように彼女はまた首を振り、それからいつかの夜のように真っ直ぐな、けれど悲しい目を俺に向けて言った。

「ごめんなさい…私、晋助さんに嘘ついてました。一緒に戦いたいなんて言ったけど、私、本当はここに死にに来たんです」
…」
「みんなの仇をとりたいと思うのは本当だけど、それ以上に死にたいんです。
私だけが逃げて一人生き残ったけれど、もしいつか、この戦争が終わったとしてもやっぱり私は一人です。
何の取り柄もない私がこの先も生きるには吉原にでも堕ちるしかない。だったら、ここの役目と同じだから…。
だから、せめてここで役目を果たして、それで死のうと思ってました。………思っていたのに……私は…」


「あの男の人の手が肩にかけられた時、私が思い出したのは家族でも友達でもなくて――――――あなたでした」


俯いた彼女の顔から落ちる雫は、多分雨粒ではないのだろう。

もう一度、消え入る声で「殺して下さい」という彼女の冷えた身体を、俺は小川を渡り自分の胸に引き込んだ。

「バカ言うんじゃねー。俺がお前を殺せるかよ」
「でも…」
「だからいつも言ってんだろ。でもって言うな」
「でも、」
「でもでもウルセーんだよ。次言ったら黙らせるぞ」
「……でも、私は、晋助さんが―――。」

強引に重ねた唇は散々雨に濡れた割には温かく、その微かな熱を絶やさないように、俺たちはいつまでもそこで抱き合っていた。





「―――…。」
「あ、起こしちゃいましたか?」

ごめんなさい、と微笑む顔に手を伸ばして引き寄せる。

「駄目ですよ、これじゃあお手当できません」
「まだいいさ」
「だから駄目ですってば。そろそろお薬も包帯も取り換えないと」
と口で言うほどでもないらしい。
腰に腕を回すと、もう、と口を尖らせながらもは俺の肩に顔を乗せた。

「何か夢でも見てたんですか?」
「…ああ。昔のな」
「昔の?」
「あれは俺たちが出会った頃、だったな」
「それはまた随分昔の夢ですね」
「夢の中でも相変わらず、でもでもばっかり言ってたぜ、お前」
「う゛っ…。最近はそんなに言ってないつもりなんですけど」

むっと頬を膨らませる様子に鼻で笑ってやると、眉が吊り上がる。
あの頃に比べれば随分と表情も豊かになったものだ。

「何ニヤニヤしてるんですか」
「別に」
「教えてくれないと、もうお手当しませんよ」
「そいつは困る。俺の体はお前が一番良く知ってるしなァ」
「………あの…何となく語弊があるので、そういう言い方はやめて下さい」
「語弊なんてねーだろうが。それに」
「?」
「お前の体は俺が一番良く知ってる。……だろ?」

耳元で囁けば、あっという間に朱に染まる。
いつまで経ってもそこだけは変わらない。
」と呼ぶと、赤くなった顔でそれでもあの日と同じ真っ直ぐな目が俺を見た。

「本当に後悔してねーのか?」
「してませんよ。私は晋助さんとずっと…最期までずっと一緒にいると決めたんですから」

例え犯罪者になったとしても。
例え暗い未来しか待ち受けてないと分かっていても。
死が二人を別つまで。

いや、魂だけになったその先までも―――。

「いいんですよね?傍にいても」
「当たり前だ」

あの細い小川のほとりは賽の河原で。
向こう岸は黄泉の国で。

川を渡った先でいつまでも抱き合っていた俺たちは、きっと永遠のヴァルハラの中で、いつまでも離れずにいられるのだろう。





***************************************************************************************************
3周年記念リクエストで頂いた、【「殺して下さい高杉さん!」と笑顔で言う生きるのがヘタなヒロインさん】でした。
あのね!取り敢えずスライディング土下座で謝罪します!!全然リクエストと違くなっちゃってごめんなさいぐおおおお!!!!!
本当は『能天気を装った』ヒロインさんだったはずなのに、能天気どころか陰気なヒロインさんになっちゃったよ(-_-;
しかも高杉さんに相応しく(←)至るところで厨二病全開な雰囲気に…!
でも私はとっても楽しかったであります。シリアス路線は大変お久し振りだったし、こんなネタ自分じゃ絶対無理だもの!
ほんとすいませんでした!!&ありがとうございました!!!
飽き性ミズホとしては奇跡的な4年目突入ですが(笑)これからもChronicle + をよろしくお願いいたします♪(^^)/
***************************************************************************************************


------


お世話になっているミズホさん宅の3周年リクエスト企画にリクエストさせて頂いたお話です。
普段はシリアスより甘いお話を書かれるミズホさんにシリアスをぶつけるという、とんだ無茶振りをしたというのに
このクオリティですよ!すごく好みに仕上がってきて、もう、もう、リクエスト万歳!!!本当にありがとうございます!!

攘夷時代の高杉さんの不器用ながら優しいところとか、焦ってるところとか、読んでるこっちはニヤニヤしてました。
中二病爆発させてくれるあたりも、ニヤッとしつつ読んでました。アレッ結局終始ニヤニヤしてる。笑

素敵なお話をありがとうございました!
頭を床に打ち付けんばかりの勢いで愛情と感謝を込めて、こちらこそ今後ともどうぞよろしくお願いいたします!