キーンコーン、と授業が終わるチャイムが鳴る。
帰りの準備を始める皆を見ながら、あたしもゆっくり荷物を片づける。
「、今日の帰り暇アルか?今日から期間限定のんまい棒が発売するのヨ」
「えっ、めっちゃ気になる!…けど、今日はちょっと用事あるんだ。ごめんね、神楽ちゃん」
ぱちんと両手を合わせて謝ると、神楽ちゃんはそれなら仕方ないアル、と笑った。
「じゃあ明日買って持ってきてあげるヨ!」
にっと笑って神楽ちゃんは教室を飛び出していった。
その背中にありがとう、といってらっしゃいを叫んであたしも教室を出た。
しばらく校内を歩いて、人気が無くなってきた頃。
辺りを見回して人がいないのを確認し、国語準備室の扉を開ける。
「銀八先生、こんにちは!」
「あ?なんだ、また来たのかよ」
酷い言い草だなあと言いながら扉を閉める。
「なんで先生って国語の先生になったんですか?数学とかだったら質問に行くとか理由が作りやすかったのに」
しらねーよ、と返す先生は回転いすに座ったまま机に向かっている。
あたしは側にあった机に荷物を置いて、先生の首にぎゅっと腕を回す。
「おいおい、何やってんのちゃーん」
「えへへ、先生の頭今日もくるくるふわっふわー」
「何なの。いじめなのこれ」
右手に持っていた赤ペンを的確にあたしの頬にとす、と押し当てて先生はふてくされた声を出した。
「愛情表現ですよ!あたし、先生の髪好きですよ。あっ、髪だけじゃなくて全部好きですけどね!」
「あーそうですか」
適当にあしらって、先生はこの前やった漢字テストの採点を進めた。
あたしは先生に後ろから抱きつくかたちのまま、その肩に顔を押しつける。
「あ、そういえば今日土方くんたちとお昼食べたんですけどね」
しゃっ、しゃっ、というペンが紙の上を滑る音とあたしの声だけが、部屋に響いている。
「あたしのお弁当の卵焼きが美味しそうって言ったから、わけてあげたんですよー」
とんとん、とテスト用紙を綺麗に纏めて先生は机の引き出しにしまい込む。
「そしたら美味しいって言ってくれて」
そう言ったところで、急に立ち上がった先生に両手を掴まれて机に引き倒された。
どんっという衝撃が背中に伝わり、そばにあったペン立てが倒れる。
転がっているであろうペンに目を向けることなく、先生はあたしをじっと見つめていた。
「別にんなこと報告してくれなくてもいいんだよ。それとも何?俺を妬かせてーの?」
「…妬かせたいです、って言ったら、どうしますか」
先生の顔を見ているのが恥ずかしくて、その後ろに見える天井に視線を移す。
「ばーか」
表情はいつも教室で見ているものと同じ。
すっと先生の影が離れていく。
「俺を妬かせようなんざ、まだまだ早ェよ」
手首を拘束していた先生の手が離れ、さっきまで温かかった部分が急に寒くなる。
いつも、そう。
先生はいつだって教師と生徒の線を引いている。
体を起こすと先生の広い背中が見えて、ぎゅっと胸の奥が痛くなった。
「……銀八、せんせ」
待って、という声は喉の奥で張り付いて出てこない。
準備室の扉を開けて外を見回している先生に向けて伸ばした腕から少しずつ力が抜けて、だらりと落ちる。
「今なら誰もいねーな。ほら、門まで送ってやるから早く荷物持って来い、」
「あ…はい」
あたしを名前で呼んでくれるのは、この部屋にいるときだけ。
それ以外はずっと名字。
荷物を持って先生の後に続く。
準備室から出て、鍵を閉める先生の手をじっと見ていると反対側の手で頭を撫でられた。
顔を上げると、先生はすっとあたしの耳元に顔を寄せる。
「俺がこんだけ気ィ遣って名前で呼ぶのなんて、お前しかいねーんだぞ、」
ふっと耳にかかる息にびくりと体が震える。
そしてすぐに離れた先生の顔を見上げる。
「暗くなる前にさっさと帰るぞ。一応も女だからな」
「い、一応って、なんですか!まったくもう、失礼ですね!」
少しだけ笑った先生の顔から視線を逸らし、どきどきと鳴り続けている心臓を押さえる。
さっきの言葉は、あたしがあなたの特別だと思っていいってことですか。
それを尋ねる勇気は無くて。
でも、そうであってほしいと思う自分がいる。
いつの間にか乱れていた呼吸を整えるように息を吐く。
「ねえ先生、門まで手繋いでいきたいです!」
「はあ?お前何考えてんの、駄目にきまってんだろーが」
「手くらい大丈夫ですってー」
先生の手を掴もうとするとひょいひょいと避けられる。
少し寂しくもあるけれど、本気で振り払われたりしないことに少しだけ嬉しくなる。
今はまだ、このままでいい。
でも、もう少しだけ。準備室の中だけでもいいから、手を出してくれていいのに。
「ねえ、銀八先生」
「あ?」
先生の半歩後ろを歩きながら、ぽつりと呟く。
「準備室の中だけでもいいですから、先生のこと名前で呼んでいいですか」
「今でも呼んでんじゃねーか」
「そうじゃなくて、あの…先生っていうのじゃなくて」
続きを言うのがなんだか恥ずかしくて、あの、えと、と言葉を濁す。
「駄目だ」
何を言おうとしたのか分かったのか、先生はきっぱりとそう言い放った。
「はそういう使い分けできるほど器用じゃなさそーだからな」
「そ、そんなことないです!」
顔をあげて叫ぶように言うと、先生は声を押さえろと言うように人差し指をあたしの口元に当てる。
「お前の代わりに、俺が呼んでやるから。お前は普段通りにしてればいいんだよ」
分かったか、。と笑みを浮かべて小声で言った先生に、はい、と返事をした。
ひとりよがり
ねえ先生、あたしはあなたの特別なんですよね。そう、ですよね。
そうやって縋ってくるお前の目が好きだから、俺はまだ、この距離をやめてなんかやらない。
あとがき
まさかの変化球銀八先生。
考えようによっては悲恋かもしれませんし、本気で銀八先生も悶々してるかもしれない微妙なライン。
2011/12/03