空を雲が覆い、少しばかり湿気の多い日。

江戸の見回りをしていた土方は、向かいから歩いてくる女に見覚えがあった。

 

行き交う人々よりも少し遅い足取りのその女は、よく昼休憩に通っていた軽食屋の店員だった。

少しばかり悩んでから、自身も歩く速さをゆるめてその女の前で止まった。

 

 

「何浮かない顔してんだよ。今日はバイトねえのか、

「えっ…あ、土方さん。今日はバイトお休みなんですよ」

にこりと笑った顔は、いつも店で見る時よりも弱々しく普段と違う空気を纏っているように思えた。

 

「つーかどうしたよ、そんなめかし込んで」

「あー…その、ですね…」

言葉を濁しては土方に「歩きながらでも良いですか」と言って困ったように笑った。

 

 

 

元々見回りの途中だった土方は、それに了承して江戸の町を歩きながらの話を聞いていた。

 

「今から見合いだァ?そんな女がこんなとこほっつき歩いてていいのかよ」

「うう…それを言われると痛いんですけどねー。なんか、落ち着かないっていうか、じっとしてられなくて」

そう言ってまた少し、困ったような顔をする。

 

「…良い縁談じゃねえのか」

「縁談自体は悪いものじゃないんですよ」

 

の見合い相手は財閥の息子であり、彼女は一度目の顔見せのような見合いで随分と気に入られた。

それから親同士の間でトントンと話が進み、いつの間にか結婚を前提とした見合いに発展した。

それが今日、江戸の老舗料亭で行われる。

 

 

 

「確かに、悪い人じゃなかったんです。優しそうな、人でした」

ぽつりぽつりとは足元に視線を落として言葉を零す。

 

「両親もあの人なら大丈夫とか言ってましたし、私ももうそういう年頃なんで…良い縁談なんでしょうけど」

こつん、と道端に落ちた小石を蹴飛ばす。

「1,2回くらいしか顔見たことがないような人と結婚、って言われても、って感じなんですよね」

ころころと転がった石が路地の方へと転がり消えていく。

 

 

「本人の気が乗らねーんなら、断っちまえばいいだろ」

土方の言葉に、それができれば苦労はしないんですけどね、とは言う。

 

 

「もう色々準備は進んでるみたいなんです。…今更、私が何か言っても変わりませんよ、きっと」

川にかかった橋の上で、は土方の数歩前に出て足を止める。

 

 

「だから、ほんとうはバイトも一昨日で終わりなんです。もう、あそこでは土方さんに会えません」

 

 

「……」

がいない軽食屋。土方はそれを想像しようとしたが、できなかった。

今日もマヨネーズ大盛りですか、と言って笑うがいない空間を想像できなかった。

 

「たぶん…あんまり会えなくなっちゃうと、思います。折角仲良くなれたのに、なんだか寂しくて」

そう言ってくるりとは土方の方へ体を回転させて、無理やり笑顔を作る。

「言わないでいた方が辛くないかと思って黙ってたんですけど、結局喋っちゃいました」

えへへ、と笑う顔が随分と遠くに感じて、土方はぐっと手を握りしめた。

 

 

「…あと、15分くらいでお見合い始まっちゃうので…。それじゃあ、土方さん」

その先にくる言葉くらい、容易に想像がついた。

 

「待てよ」

言葉を遮られたはじっと土方を見つめる。

 

 

「お前はそれで、幸せなのか」

「え…」

さらさらと川の水音が二人の間に流れる。

 

「今はまだわかりません…。あ、でも、別に政略結婚とかそんなものじゃないですし、たぶん、大丈夫ですよ」

土方を安心させようと、は笑って大丈夫と繰り返す。

 

 

 

 

。お前が見合いに行く理由はなんだ?」

「え?えと…他に相手がいない、から…と、お見合い相手さんに気に入られちゃったから…?」

首を傾げて考えを巡らせる彼女の前に、土方は静かに一歩近づく。

 

 

「相手がいりゃ、そんな気の進まない見合いに行かなくていいんだな」

「え、あ、それはまあ、そうですけど」

あれ。そうなのかな、なんて呟くが視線を逸らしている隙にまた一歩、彼女に近づく。

 

 

「でも、実際相手なんていませんし。仕方がない…って、なんか近く、ないですか」

腕を伸ばせば届くほどの距離まで詰めていた土方を見上げ、は思わず一歩後ろへ下がろうとした。

 

「逃げるな、

ぱしっと右手で腕を掴み、土方はの体を引き寄せる。

左手で彼女の顎に手をかけて、視線を合わせるように上を向かせる。

 

 

「えっ、ちょ、ああああの、土方さん…!?」

ぼわっと赤くなった彼女の顔を見て、土方は少し笑う。

 

「これで赤くなるってことは、完全な対象外じゃねーってことだよな」

「対象って、なにが、ですか」

土方の視線から逃れようと目を泳がせるをじっと見つめ、すっと息を吸う。

 

 

 

 

「嫁なら俺が貰ってやる。だから、そんな顔して見合いなんざ行くな」

 

 

 

ひゅっと息を吸う音が聞こえ、の目が大きく見開かれる。

「……えっ…えええええ…!?」

また後ろに下がろうとする彼女の体を引きとめるように、両手に力を込める。

 

「あのっ、でも、私…土方さんのことも、まだ多くは知らないですし、よ、嫁とか、そんな」

「別に俺ァ焦ったりしねえよ。これからじっくり知っていきゃいい」

ただ、と土方は声を張り詰める。

 

 

「今は、時間がねえ。お前は俺とその見合い相手、どっちのことを知っていきたいんだ?」

ゆらゆらとの目が揺れ、しばらくの沈黙の後、小さく彼女は口を開いた。

 

 

 

「…ひ、じかた、さん。土方さんの、こと、もっと、知りたい、です」

 

その言葉に土方は笑みを浮かべ、彼女の顎に添えていた手を離す。

がほっとしたのもつかの間。今度は視界がぐるりと回る。

 

 

「えっ!?え、あのっ!?」

「じっとしてろ。時間、ねえんだからな」

驚きつつも自分を横抱きにする土方の肩に手を置き、バランスを取る。

 

 

 

「ど、どこ行くんですか」

「んなもん決まってんだろ。お前の両親と見合い相手に、婚約者が出来ましたっつって報告しに行くんだよ」

その言葉にワンテンポ置いてから、の顔が再び赤く染まった。

 

 

 

 

 

 

 

リミット











見合い開始まで、あと少し。それまでにこの茶番を壊してやるから、早く俺のものになっちまえよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

アレッなんか普通の短編みたいになっちゃいました、けど、一応お題に沿うように頑張ったのでこっちに収納。

しかし恥ずかしい人である。土方さんが。←

2012/01/29