バスが来る予定の時間を超えて1分が経過した。

携帯の時計を確認しようと鞄に手をかけたとき、ふと頭上に影ができた。

 

 

「やあ利瀬。まだこんなとこにいたんだね」

「うっわ」

全力で嫌そうな顔をしてやると、ご挨拶だね、と神威が笑った。

 

「君、昼間は外に出ないんじゃなかったの?」

「うん。俺にこんなことさせるなんてさ、利瀬ってば命知らずだよね」

「いや頼んでないから」

寧ろなぜ来た。

できれば今日は一日神威には会いたくなかったのに。

 

 

振り返るような体勢では首が痛いため、仕方なく立ち上がって神威と向き合う。

「本当に、誰にも言わずに行くんだね」

もちろん、と言い返そうとして言葉が止まる。

神威の言葉は、やけに断定的なものだ。

 

「…まさか、バラしたり…」

「してないよ。ただ、君と同室の彼にはちょっと聞いたけどね、利瀬は今日いる?って」

さっき出かけたって言われたよ、と神威は言葉を続ける。

「あはは、彼、結構侮れないと思うなあ。君にちょっかいかけるなってくぎ刺されちゃった」

「え、は?」

 

銀時に、神威とこんなふうに話をしているなんて言った事あっただろうか。

これといって話題に神威が出てきたことなんて…そうそうないはず。

 

 

 

「でもさ、それに素直に従ってるなんてつまんないと思うんだ」

 

迷いのない声音に、いつの間にか下がっていた頭を上げる。

「やっとあの学校での生活にも楽しみが出来たんだ」

「それ、僕をからかって遊ぶってこと?」

「もちろん」

にこやかに笑って神威は首を縦に振る。

 

 

「だから、俺は君を逃がしたくない」

ぎらりと神威の青い瞳が細く弧を描く。

 

「…なんだろうなあ、折角ドラマのワンシーンみたいなのに、恐怖を感じるよ」

「はは、いいさ。君はひとつ、選べばいい」

「選ぶ?」

神威は日傘を持つ手と反対の手の人差し指を立てる。

 

 

「ひとつ。このまま夜兎高校に留まる」

「…だからそれは」

「ふたつ。君が行く予定の学校…恒道館高校を俺が潰して、君は夜兎高に戻る」

「………」

「みっつ。どっちも嫌だっていう我儘な君を、ここで俺が殺す。さ、どれにする?」

「待ってそれ選択肢って言わない!!!」

 

行きつく先は死か夜兎高校しかない。

平和な日常がどこにも見当たらない。

 

 

「ほらほら、早く決めないとみっつめのやつになっちゃうよ」

「ちょ、ま、待った!なんでそんなに私をそっちへ引っ張ろうとするの!?」

おっとうっかり素になってしまった。まあいいか、神威にはもうバレてるし。

 

 

のことが好きだからだよ」

 

 

「…え、っ」

何を言ってるんだ。

さっきまで、殺すとか言ってたくせに。

 

 

 

「なーんて言ったら、考えなおしてくれる?」

「……ほんと一回ボッコボコにされてきなよ」

物理的にも精神的にも、攻撃されてしまえ。

 

 

「あはははは、顔赤いよ。本気にしちゃった?」

「うっさい!本気になんかするかばーか!!」

慣れてないだけ、慣れてないからびっくりしただけ。

そう言い聞かせていると鞄にいれてあった携帯電話の着信音が思考を停止させた。

 

 

ちょっとタイム、と神威を制して鞄に手を突っ込む。

携帯の画面に表示された名前は、弟の名前だった。

 

ピッと通話ボタンを押した瞬間、手の中から携帯電話がすっぽ抜けた。

 

「もしもしー」

「ちょ、ば、ばか!」

何食わぬ顔で電話に出ている神威。

携帯返せと言いながら神威に掴みかかるも、するりと手をかわされた挙げ句肩を押されてイスに座り込んでしまった。

 

「あのさ、もう1週間そのまま君はそっちにいてくれないかな」

「はあ!?」

叫んだ声は、神威が持っている携帯電話の受話部分からも聞こえてきた。

それより、片手で肩を抑えつけられているだけなのに立ち上がれない。

 

 

「うん、いいでしょ。君だって、彼…タカスギと決着つけたいんじゃない?」

片方の言葉しか聞こえないけれど、明らかに私にとって嫌な方向へと話が進んでいる。

「そう、1週間。あ、1カ月の方がよかった?あはは、じゃあ1週間ね」

「ば、ばか利瀬!!懐柔されてるんじゃないわよ!!」

なんとか弟に届けと叫ぶがおそらく弟には届いていない。

 

 

「うん、物わかりのいい弟くんで助かったよ。じゃ、よろしくね」

「よろしくない!!よろしくないから!」

 

私の叫びもむなしく、携帯の通信はぶつりと途切れた。

 

 

 

「そういうわけだから。延長戦だね、

「うっそでしょおおおおお!?」

ぽん、と手に戻ってきた携帯の画面には通話終了の文字が表示されていた。

 

 

「いいだろ、君が望む、一番平和な選択肢を選んであげたんだ」

「へ、平和だけど、平和じゃないよ…」

 

がっくりと肩を落とす。

そりゃあ夜兎高校での生活は楽しかったし、未練がないと言えば嘘になる。

だけど、本来行くはずだった学校で女子トークしたり帰りに寄り道したり、そういうものもしてみたかった。

 

 

 

「また1週間。バレないように頑張ってね、利瀬」

「…何のために荷物まとめて心の準備してきたのよ…」

楽しそうに笑う神威を睨む元気もなく、遅れてきたバスに乗る事もなく、私はそのまま寮へと引き返すことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

随分と早い帰りになってしまった。

見なれた寮の2階、私と銀時の部屋を見上げる。

 

「あ、そうだ。部屋に飽きたら俺の部屋においでよ。阿伏兎ならいつでも追い出すから」

「絶対行かないから安心して」

神威と同じ部屋なんて、たまったものじゃない。

精神的疲労が溜まる一方でしかないだろう。

 

 

 

「つれないなあ。…あ、でもさ」

すっと日陰に入って日傘をたたんだ神威は私の顔を見てにやりと笑う。

 

「あの時、照れてくれたってことは脈ありと思っていいんだよね」

 

「は?あの時って…。……ち、違う!それは、無い!無いから!」

忘れかけていた記憶を引っ張りだされ、慌てて手を左右に振って否定する。

「そんなに否定されるなんて落ち込むなあー」

「声が全然落ち込んでないけど」

にこにこといつもの笑みを崩さずに言う彼に、落ち込んでいるという表現は激しく似合わない。

どちらかといえば、楽しんでいると言う方が適切だろう。

 

 

「はは、まあいいや。期限は伸びたわけだし、これからもよろしくね、

「ばっバカ!ここでそう呼ぶな!」

「そうそう、その感じでこれからも必死に生きてよ」

くすりと笑って神威は私が繰り出したパンチを避ける。

 

 

「俺、君が必死に自分を隠して走り回ってるの見てるのが好きなんだ」

神威は自分の部屋の前で日傘をたたみ、トンと肩に担ぐように持つ。

 

 

「いつか、俺のために必死になって走り回ってよ」

「君は…一生かけても捕まえられなさそうだけど」

「はは、そんなことないよ。になら…そうだね、追われるのに飽きたら掴まってあげる」

そう言って神威はポケットから何かを取り出し、私に向かって投げる。

反射的に受け止めたそれは、飾り気もなにもないただの鍵。

 

 

「そこへの引越しなら大歓迎だよ」

言いながら神威はコンコンと自分の部屋の扉のノブ付近を叩く。

その意味に気付いた私はぎゅっと鍵を握りしめて叫ぶ。

 

「絶対引っ越さない!!」

「あはは、そういうとこ。いいね、俺を見て脅えるばかりの奴らよりずっといい」

がちゃりと神威は部屋の扉を開ける。

 

 

「また、明日。明日も楽しい一日にしてくれるよう期待してるよ」

 

 

変な期待するなばか、と叫んだところで神威は自分の部屋へと消えていった。

残された私は深いため息をひとつ吐いて、2階へと続く階段を見上げる。

 

 

困ったなあ、なんて心の中で呟いた。

その時の私の顔が笑っていたことなんて、誰も知らない。

 

 

知らなくて、いいんだ。

 

 

 

 

きっとそれは終わらない延長戦










「ただいま、銀時」

「は…やかったな、随分」

「うん。僕も予想外だよ」

「そっか。…おかえり、利瀬。ってお前それ何持ってんだよ」

「あ、あー…下の部屋の鍵、だと思う」

「はァ?捨てちまえそんなもん!」

「あはは、そうだね。うん、そうしたいけど、捨てたら殺される気がするから…しばらくは保管しておくよ」

 

 

 

この鍵を使う日が来ませんように、そう思いながら私はひとり、こっそりと笑った。

 

 

 

 

 

 

あとがき

最終話までお付き合いありがとうございました。

2013/07/27