年が明けて、新年を迎える。

私の高校生活も残り僅かとなった。

 

年末からはもう受験一色で、教室も少しずつ浮ついた空気がピリッとしたものに変わっていた。

推薦組は既に結果が出ているようで、入学準備だの予習だのに明けくれている。

 

 

しばらくして私も受験が終わり、無事に大学への進学が決まった。

ほっとしながら友達と教室でちょっとしたお疲れ様会をした日もある。

 

 

カレンダーは、いつの間にか2月になっていた。

 

 

 

 

 

 

終業式を迎える前から、先生とはまともに話せていない。

決して避けていたとかそういうわけではない。

単純に毎日が忙しくて会えなかっただけだ。

 

受験が終わった今、もう私には先生絶ちをする理由は無くなった。

ただ前のように先生を追いかけるには、周りの空気が変わり過ぎている。

今現在のことだけを考えて毎日を過ごせていた秋が懐かしい。

 

 

「……」

制服のポケットから紙きれを取り出す。

終業式の日、私の下駄箱に入っていたものだ。

 

本当に紙の切れ端で、端に「ほけんだより」の文字が半分欠けた状態で残っている。

それを避けた空白にたったひとこと。

 

『がんばってこい』

 

そう書かれた紙。

「…ちゃんと名前、書いておいてくれなきゃ困るなあ、もう」

ちょっとだけ癖のある文字は見た瞬間に誰のものか分かったけれど、違っていたらどうしようという不安もあった。

 

けれどきっとこれは、先生の字。

 

 

「文句言ってやらなくちゃ」

期待しちゃうからやめて、と言ったつもりだったのに。

私の国語力が低いのか先生の国語力が低いのか、伝わらなかったことの文句と、頑張った結果の報告のために私は廊下を歩く。

 

人がいない校舎は昼中よりもずっと寒くて静かで、少し怖い。

けれど向かう先には暖かい人がいる。

暖かくて優しくて、私を苦しめる人。

 

 

 

国語準備室の前で立ち止まる。

扉の隙間から光が漏れているということは、まだ先生は帰っていないのだろう。

授業が終わると同時に帰りそうなタイプなのになんだかんだ言いながら真面目な人。

 

 

ひとつ深呼吸をして、扉をノックする。

「先生、です。いますか?」

問いかけた声に返事は無い。

聞こえなかったのかなと思い、そっと扉に手をかける。

 

「先生、失礼しますよー…」

からから、とゆっくり扉を開ける。

ふわりと電気ストーブによって暖められた空気が足から伝わってくる。

寒い廊下とは打って変わって快適空間だ。

ただ、肝心な人がいない。

 

 

留守なのかな、と肩を落とす。

「後ろがつかえてますよーちゃん」

「っ!!!」

突然の声にびくっと肩が跳ねあがった。不意打ち過ぎたのだ。

 

「え、そんなビビるとは思ってなかったんだけど」

「な、せ、せんせ、び、っくりした」

言葉がうまく出てこない。

「悪かったって。ほら中入った入った、廊下寒ィんだから」

そう促されてよたよたしながら国語準備室へと入る。

先生の所為で嫌な汗が手に滲んだ。

 

 

 

「で、なにしに来たの」

ぎい、と先生が座ったチェスター付きのイスが古びた音を立てる。

「えっと」

なんだっけ。

さっきの衝撃の所為で考えていたものが全部吹き飛んだ。

 

 

「あ、そうだ、先生。私、受験戦争から無事に帰還しました!」

びしっと敬礼なんてものを決めてみると、少しずつ心が落ち着いてきた。

そう、このノリだ。

先生と私の距離感。

 

「…そ、っか。無事、か」

「先生?」

「ああ、いや、なんでもねーよ。それより、おかえり…じゃねーか、おめでとさん」

そう言った先生の目が少し揺らいでいた。

そこにある意味を私は知らない。

けれど聞くほどのことでもないだろうと思って、私は言葉を続ける。言いたい事はもうひとつあるのだ。

 

 

「それと、応援してくれたのって先生ですよね」

「…なんのことだか」

イスの背に凭れて視線をそらす。

「私が先生の字を見間違えるわけないでしょう!」

「ちょっと怖えーからな、それ。どっかのストーカーみたいな発言だからな」

そういえばお妙ちゃんに聞いたっけ。Z組はストーカーが2人もいるって。

 

 

「先生、ありがとうございました」

それだけはどうしても言っておきたかった。

紙の切れ端でも、私にとっては大事なお守りになったのだから。

「こんな時間まで残って言うほどのもんじゃねーだろ」

「そんなことないです!」

 

 

伝わればいいのに。

私のためにその紙を下駄箱にいれてくれたことが、どんなに嬉しかったか。

そしてやっと落ち着きかけていた先生への恋がまたふつふつと沸き上がってしまったもどかしさ。

先生の迷惑にはなりたくないけれど、傍にいられたら幸せだろうと思ってしまう気持ち。

踏み込むことも、引き下がりきることもできない苦しさ。

 

どうやったら全部ちゃんと伝わるんだろう。

ねえ先生、国語の先生なら教えてください。

 

「嬉しかったんです、ほんとうに。嬉しかったんですよ」

そんな言葉しか出てこない私に、模範解答を教えてください。

 

 

しばしの沈黙。

それを破ったのは私だった。

 

「今日はそれを言いたくて残ってました!」

知らぬ間に落としていた視線を上げると、先生と目が合った。

いつもと同じ死んだ魚みたいな目。

 

「それじゃ、先生」

 

大好きですよ。

 

「ありがとうございました!」

 

 

 

やらずに後悔するよりやって後悔する方がいい。

そう思っていたのに、私は結局踏み込むことができなかった。

 

卒業まであと1カ月。

 

 

「さようなら!」

また明日会える、その確信が嬉しくて切ない。

 

軽くお辞儀をして国語準備室から出る。

随分と暖まった体は廊下の寒さを少し和らげてくれた。

この暖かさが冷めないうちに帰ろう。

 

 

後ろからガタンッという、何かが倒れるような音が聞こえた気がした。

まだ誰か残っているのかなと思いながら足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

伝えたい伝わらない国語力









(いってェェェ!くそ、ちくしょうモヤモヤする!国語の先生この気持ちの表現方法を教えてくれェェェ!あっ先生俺だ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016/01/31