「ねえちゃん。2月といえば?」

「もちろんわかってるよ!ほら二人共、ハッピーバレンタイン!」

「いやそうじゃないわ」

 

さすがに屋上ランチは寒くて仕方がないので、Z組の教室にお邪魔している。

もちろん先生はいない。

 

「え?他にイベントあったっけ?」

「間違ってないけど間違ってるわ」

「そうアル。、結局どうなったネ」

向かい側と左隣から詰め寄られて、誤魔化すようにメロンパンを頬張った。

 

「結果によっては最近お弁当持ってきてくれないのも許してあげるネ」

神楽ちゃんに作ってきていたわけじゃないけどね、とお妙ちゃんがこっそり言う。

ずっと先生のために作っていたお弁当は、受験だのなんだので忙しくなってから停滞していた。

受け取ってもらえる可能性は無いと分かっていたから、停滞することに躊躇いは無かった。

 

 

「まあうん、その…進展もなければ後展もなしって感じ」

「はあー。もどかしいわね、やっぱり狙撃した方がよかったかしら」

「ぶち殺すくらいじゃないとあの天パはダメアル。最近の男は恋に臆病なのヨ」

「神楽ちゃん、冬休み中になんかドラマ見たの?」

そんな話をしながらお昼を食べる。

一足先に食べ終えた神楽ちゃんは、私が作ってきたチョコケーキに手を伸ばしている。

ケーキといってもカップケーキだから、神楽ちゃんはぺろりと平らげてしまった。

 

 

「美味しいアル!、もっと欲しいネ」

「ありがとう、でも今日はこれだけしかないんだ。また今度作ってくるね」

「キャッホイ!それなら毎日がバレンタインでいいアル!」

それは男子が気の毒だ。毎日そわそわしなくちゃいけなくなる。

うちのクラスの男子はなんだかみんなそわそわしていた。

 

 

「それで、先生には?」

「…一応ある、けど」

お妙ちゃんに問われて少し俯く。

先生は先生だから、きっとこういうのも受け取ってはくれないのだろう。

それならいっそ今皆で食べちゃった方が、このケーキも幸せなんじゃないだろうか。

 

そう思っていると、そっと私の手をお妙ちゃんが握ってくれた。

ちゃん、いいこと教えてあげるわ」

思い出し笑いだろうか、くすっと笑ってお妙ちゃんは私の耳元で言う。

 

「銀八先生ったら、最近授業中もそれ以外も上の空なのよ。授業が終わって教室から出るたびに少し肩を落とすの」

 

あれって、何か待ってるんじゃないかしら。と、面白そうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

授業が終わり、特に意味も無く校内をうろついているうちに空は暗くなっていた。

冬は夜が早いなあ、なんて思いながら相変わらず寒い廊下を歩く。

辿りついた下駄箱に残った外靴は、もう私のものだけだった。

 

 

どうしよう。

鞄にはまだ、ひとつだけカップケーキが残っている。

 

このまま帰ったらきっと私は後悔するんだろう。

でも、先生にこれを渡すのが今は少し怖い。

いっそ追いかけるのはもうやめて、少しずつ離れる努力をした方がいいのだろうか。

 

忘れる努力を、した方が。

 

 

「なにやってんの」

 

 

突然の声に驚いて、よろめいた体が下駄箱にぶつかった。

「あ、っ」

先生、と言いかけた声が止まった。

月明かりしかないはずの廊下に立つ先生は、どこかいつもと違う気がして、怖いと思った。

…怖い?先生が?

 

「ごめんなさい、今、帰るところで」

下駄箱に手をつきながら後ずさるように一歩足を引いた。

 

「待てよ」

先生の声が低い。

怒っているの?機嫌が悪いの?

それなら放っておいてくれればいい、無視してくれればいいのに。

 

一歩ずつじわりじわりと後ずさる私に向かって、先生は大きな一歩を踏み出す。

「待てっつってんだろ!!!」

「っ!」

びくっと盛大に肩が揺れた。

先生のこんな大声、初めて聞いた。

 

そして、先生のこんな驚いた顔も、初めて見た。

 

 

「…悪ィ、別に怒ってるわけじゃねーんだ、今のはなんかその、自分でもびびった」

バツが悪そうに頭を掻く先生は、いつもの先生のように見える。

シィンと静まり返った廊下には音が無い。

「あー、えっと、その、あれだ、お前今日は筆箱とか忘れ物してないのか?」

「え?いいえ…」

何を聞かれるのかと思ったら、忘れ物ってどういうことだ。

それを聞くために引き止めたの?

 

「じゃあなんか…なんかやり忘れたこととかねーの?」

何が言いたいのだろう、と首を傾げる。

すると先生はその場で頭をがしがし掻き、うんうん唸った後、吹っ切れたように私を見た。

「あーもーまどろっこしい!単刀直入に言う!」

「は、はい?」

 

 

 

「今日は、バレンタインです!!!」

 

 

 

 

 

「…えっ?そう、ですね」

「そうですね、じゃなくて!!」

一歩先生が近付く。

私と違って、大きな一歩。

 

 

「俺に、渡すものは無いんですか」

 

 

やけっぱちというか、ぶっきらぼうというか。

そんな感じで言い放った先生の顔が少し赤い気がするのは気のせいだろうか。

 

いやそれより、今何て言われた?あれ?

 

「…渡しても、いいんですか?」

「今日は特別に、な」

 

真っ直ぐ伸ばされた大きな手に、鞄から取り出したカップケーキをそっと乗せる。

ずっと大事に持っていたからラッピングは崩れていなかった。

 

 

「さんきゅ、ってすんげー気合い入ってんじゃん。ここまでやっといて持って帰るつもりだったわけ?」

「準備してる時は楽しくてハイテンションだったんです。今日になったらなんか緊張するし恥ずかしくて…」

まじまじと手の中のそれを眺める先生は、なんだか楽しそうに見えた。

 

「でもいいんですか?いつもはお弁当断るのに」

「いつもって、最近は作ってきてくれねーじゃん」

少し拗ねたように言いながら、背を下駄箱に預ける。

あ、横顔かっこいい。…ってなにまたときめいてんの私!

 

 

「もうすぐも卒業だし、思い出づくりの一環ですーとかいう名目で貰ってもいいかなと思ったら来なくなるし」

「え?」

「最近急にマセてきたっつーか、しおらしい雰囲気漂わせるし」

「そんなつもりはまったく…」

「なくても、そうだったの。だから俺も迂闊に手ェ出したらまずい気がしてモヤモヤするし」

「てててて手ェ出すって!?」

「バッカ、んな反応すんな!」

えろい、先生が言うとえろい!…とは言えなかったけど心の中で叫んでおいた。

 

 

 

「なあ。もう少し、頑張れるか?」

頑張るって何をですかと問いかける。

「俺とお前の距離感を、あと半月くらい保っていられるか?」

「半月って…あ」

 

もうすぐ、卒業式だ。

 

「大丈夫です、きっと大丈夫」

さっきまでの不安が溶けてなくなっていく。

「先生を信じていいんですよね」

ふっと笑って先生は、カップケーキのラッピングリボンに唇を寄せた。

「それよか、心の準備しとけよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「せ、先生なんかやらしい…セクハラ教師っぽい…!」

「やめてそのAV男優みたいな表現」

 

 

 

 

 

 

 

テークオーバーゾーン









(ギリギリで捕まえてやるから。もう少しだけ、走ってくれ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016/02/12